鎌倉の摩崖仏
鎌倉の摩崖仏 |
今回は鎌倉の摩崖仏を特集してみました。がしかし、鎌倉市のものだけだとちょっと弱かったので、個人的に訪れたことのある史跡で、鎌倉に近い、もしくは鎌倉に関連している摩崖仏を付け足してまとめてみました。
摩崖仏とは
摩崖仏とは、コトバンクにあった重要な部分を引用してみました、以下。
摩崖仏とは、石仏の一種で、自然の懸崖や大石を彫刻し、仏像などを陰刻や浮彫りで表したもの。摩崖仏とも書く。その多くは石窟寺院の形式でつくられ、洞窟を普通の寺院のように掘り抜いたり、差しかけの木造の建物をつくったりして、その奥に仏像をつくる。この形式はインドでは紀元前3世紀ごろからあり、アジャンタ石窟などが名高い。
ということで、摩崖仏の概念が紀元前3世紀頃から存在していたということですが、ともかく崖や岩石に仏像を浮彫りで表したものが大よそ摩崖仏であるということになります。それでは、さっそく鎌倉の摩崖仏を紹介します。
長谷寺弁天窟
まずは鎌倉からということでこちらは弘法大師参籠の地と伝えられる長谷寺の弁天窟。弁財天や十六童子が彫られています。洞窟の雰囲気と相まって素敵な空間を演出しています。
ちなみに長谷寺に残された梵鐘の銘から、鎌倉時代では長谷寺は新長谷寺と呼ばれていたことがわかっています。その他にも新清涼寺や新善光寺などもあり、さらに新左衛門尉と呼ばれた人物までいました。鎌倉時代の鎌倉では名称がかぶると「新」を付けられてしまうようです。
長谷寺弁天窟の弁財天 |
長谷寺弁天窟 |
金剛窟地蔵尊
報国寺のある宅間谷に、台座上に立つ等身大の地蔵立像が彫られたやぐらがあります。『鎌倉市史』によれば、鎌倉にあるやぐらの中で地蔵立像が刻まれているものはここだけしかないとありました。また古絵図を見ると、ここには東禅院というお寺があったようなので、この地蔵尊はその東禅院の本尊のような存在だったのかもしれません。
「観光客がこんなところ入っていいの?」というような住宅の隙間を奥に行き、少しだけ丘陵を登るとこの金剛窟地蔵尊があります。ハイキングとか苦手な方でもアクセス難易度は高くないので機会があれば見に行ってください。もう一度言いますが等身大なので結構迫力があるんですよ。
金剛窟地蔵尊 |
金剛窟地蔵尊 |
百八やぐら梵字仏窟
こちらは天園ハイキングコース沿いにある百八やぐら群の一つです。やぐらの壁面が梵字と仏像の浮彫りで埋め尽くされています。
鎌倉には浮彫りを施されたやぐらが多く、大町釈迦堂口遺跡の地蔵やぐら、瑞泉寺裏山にある北条首やぐら、明月院の上杉憲方やぐらなどでこうした摩崖仏を確認することができます。
百八やぐら梵字仏窟 |
百八やぐら梵字仏窟 |
鼻欠地蔵
鎌倉から朝比奈峠を越え金沢区に入って県道を進むとあるのがこちら、丘陵壁面に彫られた4m程の磨崖仏で鼻欠地蔵と呼ばれています。『新編鎌倉志』では武蔵国と相模国の境界にあることから境地蔵と呼称しています。
比較的近くに白山道奥磨崖仏と呼ばれるものがありますが、整備されていないため常に草で覆われており、よほど運が良くなければ確認することはできないでしょう。但し4mもの顔面なので見ることができたらさぞかし迫力があると思います。
鼻欠地蔵 |
鼻欠地蔵 |
鷹取山の摩崖仏
神武寺・鷹取山に弥勒菩薩尊像とする像高約8m、像幅約4.5mの巨大な摩崖仏があります。こちらは昭和35年頃に製作されたものなので歴史的価値はありませんが、ともかく巨大なので鷹取山に訪れた際は一見の価値ありです。というか鷹取山まで来てこの像を見ないことはないと思いますけどね。
鷹取山の摩崖仏 |
田谷の洞窟
鎌倉市長尾台を越えた横浜市に所在する田谷の洞窟は正式名称を田谷山瑜伽洞と言います。全長1kmにも及ぶ人工洞窟で真言密教の修行場として活用された地底伽藍です。摩崖仏自体は古いものではなさそうですが、ともかく洞窟の中で壁面の浮彫りを鑑賞するシチュエーションがたまりません。
洞窟の原型は鎌倉期から存在したとされ、元寇の際には鶴岡八幡宮の供僧による国家鎮護の祈祷が展開されていたと伝えられています。
田谷の洞窟 |
田谷の洞窟 |
達谷窟毘沙門堂
こちらは奥州・平泉の達谷窟毘沙門堂にある摩崖仏です。日本最北の磨崖仏で、顔の長さ3.6m、肩幅は9.9m、高さは16.5mもあります。しかし明治29年の地震で胸から下が崩落してしまったそうです。前九年・後三年合戦の供養のため、源義家が馬上より弓弭(ゆみはず)で彫り付けたと伝えられています。
『吾妻鏡』文治五年(1189)9月28日条に源頼朝が奥州合戦の帰路に際しここ達谷窟毘沙門堂に立ち寄っていたことが記されています。吾妻鏡には田谷窟と書かれているので、上で紹介した田谷の洞窟かと思ってしまいましたが、昔は呼称が違ったのかもしれませんし、それとも編纂者の間違いかもしれません。
達谷窟毘沙門堂の摩崖仏 |
達谷窟毘沙門堂の摩崖仏 |
六道地蔵
箱根の精進池周辺に群集する元箱根石仏・石塔群にある六道地蔵は、あまりにも石像仏としての精度が高すぎるため一見して摩崖仏とは思えませんが、正真正銘の摩崖仏です。像高が3.15mと、摩崖仏の地蔵菩薩坐像としては国内最大級とされ、正安二年(1300)に完成したことがわかっています。さらに、近くにある多田満仲の墓と伝わる石造宝篋印塔の供養を同じく正安二年(1300)に忍性が務めているので、こちらの六道地蔵の開眼供養も忍性によって行われたと考えられています。
また二十五菩薩と呼ばれる石仏群が周辺に存在し、こちらも地蔵菩薩などの浮彫りが施されています。まさに周辺一帯が石像仏の美術館。
六道地蔵 |
元箱根石仏・石塔群 |
あとがき
鼻欠地蔵 |
上でも紹介した鼻欠地蔵の辺りは、歩道が狭いため正面から撮影ができないので、前面道路の反対車線に渡りました。
撮影を済ませ戻ろうと信号の押ボタンを押そうとしたその瞬間、
「いままで ありがとう 押ボタン💗」
と書かれているのが目に入りました。お世話になったモノへの感謝と、この信号が押ボタン式ではなくなったことを周りに知らせる二つの意味合いがあると思います。なんて優しい子なのだろうと、心が洗われるような瞬間でした。摩崖ではありませんがある意味摩崖仏。
「いままで ありがとう 押ボタン💗」 |
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