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【吉見町】中央構造線上に位置する出雲臣族の延喜式三社と横渟屯倉

2025/10/20

考察・研究 埼玉 寺院 神社

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【吉見町】中央構造線上に位置する出雲臣族の延喜式三社と横渟屯倉

吉見町
埼玉県比企郡吉見町は、横渟屯倉の比定地(ほぼ確定)であり、そして何故かこの狭いエリアに延喜式が三社も存在します。しかもそれらは全て出雲の神。さらにこの地にある古墳時代末期横穴墓も出雲型。極め付けは中央構造線までもがこの地に関与しているというカオスな状態となっています。ちょっと色々と調べてみたので、皆さんも良ければ一緒に勉強してみましょう。

基本情報

名称    :埼玉県比企郡吉見町
所要時間  :東京都心から車で大よそ1時間30分

吉見町の中央構造線

吉見町を通る中央構造線は、画像を斜めに横切る青の線です(大鹿村中央構造線博物館マップ)。そしてこの線に沿ったかのように、延喜式三社①④⑤と古墳(横穴墓含む)②などが混在しています。また吉見観音③を中心とした周辺は、御所という字名が現在まで伝えられていますが、これは蒲冠者源範頼の子孫・吉見氏の館跡です。吉見町を代表する史跡がまるで磁石にでも吸い寄せられたかの如く、中央構造線上付近に位置しています。これは一体どういうことなのでしょう。
Google map 吉見町の主な史跡
①髙負彦根神社 ②茶臼山古墳 ③吉見観音 ④伊波比神社 ⑤横見神社 ⑥吉見百穴 ⑦岩室観音堂
ということで今回は、やはり中央構造線には人を惹きつけるなにか不思議な力があるのか、という若干都市伝説めいたテーマと、なぜこの狭いエリアに延喜式が三社もあるのか、またそれらがなぜ出雲の神だらけなのかという点について調べてみました。

横渟屯倉と武蔵国造

まず吉見町の歴史を探るうえで欠かせないのが横渟屯倉の存在です。少しだけ遡ってみたいと思います。安閑天皇元年(534)、武蔵国造の笠原直使主が同族との争いを大和王権の助力を得て征します。しかしこれにより、武蔵国の横渟(よこぬ)・橘花(たちばな)・多氷(おおい)・倉樔(くらす)に屯倉(大和王権の直轄領)が設置され、本格的な王権の武蔵国支配が進むことになりました。このうち横渟屯倉の設置された場所がここ吉見町を中心とした地域だと比定されています。
さきたま古墳群 玄室再現
さきたま古墳群 国宝・金錯銘鉄剣
吉見町から荒川を渡り10km程離れた場所にさきたま古墳群があります。そこにある稲荷山古墳から出土した剣(金錯銘鉄剣)に刻まれた「加差披余(カサヒヨ)」が「笠原」と同一である可能性が高いことから、現在の行田市さきたま辺りが当時の国造笠原氏の拠点であったと考えられています。しかし一方で比企郡に拠点を置いていたという説もあります。

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横渟屯倉

6世紀後半から7世紀にかけて武蔵国北部に設置された横渟屯倉の範囲は、現在の吉見町を中心に東松山市・熊谷市・坂戸市に及ぶ広大な範囲だったと云われています。朝鮮半島からの大量の移民を労働力として田部に編入し、土地の開墾・開拓、交通路の整備などが行われ、王権による中央集権国家への事業が着々と進められました。「横渟」の「渟」は「沼」の意となりますが、実際にも坂戸市に「横沼」という地名が残されています。またこの「横渟」が「横見」となり最終的に「吉見」に転訛していったという説が有力です。
吉見丘陵から秩父方面を望む
そこで次にその横渟屯倉の管掌者が誰だったのかという点について考えていきたいと思います。

横渟屯倉管掌者候補① 壬生吉志氏

吉志氏の「吉志」は「コニキシ」「コキシ」と同語であり、朝鮮では首長を意味し、また新羅の官位のなかに「吉士」という官号があるので、吉志氏はそれを氏姓とした渡来人一族、もしくは集団と推測されます。摂津国の難波を拠点とし、三宅吉志・飛鳥吉志・壬生吉志・日下部吉志などと各地にその勢力範囲を拡げていました。

『日本書紀』安閑2年(535)に「桜井田部連・県犬養連・難波吉士等に詔して,屯倉の税を主掌らしむ」とあるように、屯倉の税を掌る難波吉志氏の名が記事にみられます。

今回のテーマである横渟屯倉が設置された時期から少しだけ時代が下りますが、『続日本紀』神護景雲 2年(766)に、橘樹郡(現在の川崎市辺り)の「飛鳥吉志」。『続日本後紀』承和12年(845)に男衾郡郡(現在の熊谷市辺り)の「壬生吉志」の名がみえます。これらの記述は屯倉経営に務めた一族がそのままその地に残ったことの証ではないでしょうか。

横渟屯倉管掌者候補② 出雲臣族

上記したように、吉見町にある延喜式三社に祀られている神が全て出雲系であること、また『日本書紀』に「天穂日命が出雲臣と武蔵国造らの遠祖である」と記されていることからも、横渟屯倉の管掌者候補として出雲臣もまた可能性が高いと考えられます。さらに吉見町にある古墳と横穴墓が出雲型であること、またこの横穴墓と横渟屯倉が同時期に営まれていたことも、管掌者が出雲臣であることを裏付ける証拠と成り得るのではないでしょうか。
吉見百穴
横長長方形玄室平面・穹窿状天井構造・両棺座などが出雲型の特徴

中央構造線と古代荒川

さて、中央構造線には人を惹きつける不思議な力があるのかという疑問ですが、これは式内社の高負根彦神社にその謎を解く鍵がありました。
髙負彦根神社からの景色 古代では荒川が流れていた
高負根彦神社にある現地案内板に「直下20mの平地は古代荒川の流路であった」と記されています。なんと、高負根彦神社の崖下は古代荒川の流路であり、古代武蔵国の重要な水上交通路だったのです。しかも吉見町に通る中央構造線は偶然にもこの古代荒川流路に重なる位置にあります。式内三社の高負根彦神社・伊波比神社・横見神社は、決して中央構造線に沿ったのではなく、この幹線道路ともいえる古代荒川流路に沿った立地だったんですね。
国土地理院地図
①高負根彦神社 ②吉見観音 ③伊波比神社 ④横見神社
高負根彦神社からの眺めはまさに物見山・国見山です。横渟屯倉の管掌者は高負根彦神社から横見神社にかけて拠点を置き、土地の開墾・開拓、そして交通路の整備、流通路の掌握に務めていたのではないでしょうか。ちなみに古代武蔵国の各郷における平均人口は1200人前後だとされていますが、横渟屯倉のあった横見郡の人口は3000人前後だったという試算が示されています。地域が人で賑わい、且つ管掌者の拠点であれば、この狭いエリアに式内社が三社もあることの要因と成り得るでしょう。

まとめ

日本列島を横断する中央構造線上では、なぜか重要な史跡が多く存在し、何か現代の科学では解明できない人を惹きつける”チカラ”があるのではないかと考えたくもなりますが、吉見町の式内三社に限っては、古代荒川流路に沿った立地だったということが判明しました。また周辺は横渟屯倉の管掌者の拠点であった可能性も高く、当時の武蔵国人口比率なども踏まえれば、式内社がそれぞれ近接していた要因と成り得るでしょう。

横渟屯倉の管掌者に関しては、推測の範囲でしか結論を出せませんが、少なくとも吉見町の式内社全てが出雲の神であること、また武蔵国北部では、武蔵国一宮氷川神社をはじめ、久喜市の鷲宮神社、毛呂山町の出雲伊波比神社など、錚々たる出雲系神社が広範囲に渡って建立されていることからも、出雲臣族が横渟屯倉を足掛かりに武蔵国に定住し、その勢力を拡大させていたことは確かなようです。但し、壬生吉志氏の存在は無視できません。したがって、どちらが管掌者だったのかは断定できませんが、両者とも横渟屯倉に来ていたと考えるのが今のところ妥当でしょうか。

お世話になった参考著書・資料

若松良一著    『古墳葬制の変革と横渟屯倉の設置時期』
金井塚良一著   『吉見の百穴』
鈴木正信著    『武蔵国造の乱と横渟屯倉』
立正大学博物館編 『横穴墓』
木本雅康著    『日置・壬生吉志と氷川神社』

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