2014年11月21日金曜日

建長寺勝上獄 半僧坊


建長寺の境内を最奥まで進むと、勝上獄・奥の院などと呼ばれるエリアとなります。ほぼ天園ハイキングコース沿いです。ここには明治23年(1890)に静岡県の奥山方広寺から勧請された半僧坊権現が祀られています。

Google map 建長寺
①中心伽藍 ②西来庵 ③その他塔頭エリア ④雲外庵跡 ⑤旧道エリア ⑥勝上獄・半僧坊 
⑦十王跡 ⑧回春院 ⑨第六天エリア

建長寺中心伽藍を抜けて、長い参道を進みます。建長寺境内を描いた古絵図『建長寺伝延宝図』(以下延宝図)を見ると、長い参道部分には往時では建長寺の塔頭が建ち並んでいたことがわかります。丘陵部寄りを注意して見ると、確かに、やぐらがいくつか確認できます。ですから参道は寺院跡を歩いていることになります。


奥山方広寺半僧坊縁起


『建長寺正統庵領鶴見寺尾郷図考』(以下建長寺図考)にあった半僧坊縁起を要約します。至徳元年(1384)奥山方広寺に入山した無文禅師が山中で老翁に出会いました。老翁は禅師の弟子となり、よく仕え、日々の作務を怠ることがありませんでした。その後、禅師が没すると、老翁の姿も消え失せて以来、奇怪なことが続いたため、方広寺では、おそらく老翁の因(せい)に違いないとして、京都の仏師に依頼し、老翁の像をつくることにしました。

老翁・半僧坊像

ある夜のこと、身長一丈あまり(約3m)の半俗半僧で面相はあくまで赤く、鼻は高く髪を乱し、白衣に身を包み、金色の袈裟を肩に杖をたずさえている老翁の姿が仏師の夢に現れました。夢から冷めた仏師は、この老翁こそ無文禅師が出会った老翁に違いないとし、夢の中に現れた老翁の姿を像に刻みました。像は方広寺のご神体として祀られました。

半僧坊の天狗像

建長寺図考で紹介された縁起では、老翁の姿が「半俗半僧」(だから半僧坊)だとありますが、『かまくら子ども風土記』(以下風土記)では、天狗が禅師に弟子入りするために髪を剃っていたところ、うまく剃れず半分剃ったところで止めたことから、禅師がそれを見て「半分だけなのでオマエは半僧坊だ」と言ったとありました。また建長寺図考縁起は、あくまで「老翁」ですが、風土記ではその「老翁」がはじめから「天狗」として登場しています。奥山方広寺の方がオリジナルなので、鎌倉に話が伝わるうちに色々と細かい部分が変わったのかもしれません。

半僧坊大権現

石切り跡


建長寺の天園ハイキングコース寄りの丘陵部では、十王岩付近をはじめ大々的な石切り跡が確認できます。ここ勝上獄では、文字なども刻まれていますが、読みやすいので、近世、もしくは近現代に彫られたのかもしれません。壁面を奥に伝って行くと、浅い掘り込みのやぐらに無縫塔が置かれていました。

石切りされた壁面 文字も確認できる
なんだかわからないけど絵柄と文字が彫られている ちょっと素敵

開山座禅窟


建長寺の半僧坊が明治に勧請された意外に歴史の浅いものだということがわかりましたが、ここ勝上獄と呼ばれるエリアには、開山座禅窟と呼称される建長寺開山の大覚禅師にまつわる横穴が残されていることからも、この場所自体は建長寺創建当初から土地開発されていたものと思われます。

建長寺伝延宝図 勝上獄・開山座禅窟

絵図は延宝図の勝上獄部分です。○部分にやぐらのような横穴が描かれています。横穴は大覚禅師が座禅をしていたと伝わるもので、一遍上人がここに訪れ、大覚禅師と歌を詠みあったという伝承が残されています。

一遍上人
「躍りはねて 伏してだにも かなわぬを いねむりしては いかがあるべき」
大覚禅師
「躍りはね 庭に穂ひろう 小雀は 鷲のすみかを いかが知るべき」

何を言っているのかいまいちよくわかりませんが、とにかく「大覚禅師がしてやったり」と書かれていたので、大覚禅師の返答が素晴らしいものだったようです。

半僧坊大権現社の裏 建物に隠れた壁面の右側に少しだけ穴が見える

半僧坊大権現社の裏側にやぐららしき横穴が確認できます。建長寺関係者もそこにやぐらがあると言っていたので、その伝承の開山座禅窟かと思われます。目の前で見てみたいと思いますが、何せ立ち入れないので仕方ありません。遠目から見た限り、鎌倉の住宅街にあるやぐらのように物置として使われているようなので、開山座禅窟といっても、建長寺側はそれほど重要視していないのかもしれません。

火災消滅塔


延宝図の一番上、つまり建長寺敷地内の最も標高の高い部分に「火災消滅塔」なる石塔が描かれています。勝上獄のさらに上で丘陵頂部となります。これはつまり天園ハイキングコースからも立ち寄れる見晴台辺りのことでしょうか。

建長寺伝延宝図 火災消滅塔
半僧坊から急な坂道を登って行く

勝上獄から坂道を登った見晴台近くに石塔があります。よくわかりませんがこれが現在の火災消滅塔でしょうか。しかも六国見山にある稚児墓のようなタイプの石塔まで近くに置かれています。石塔はあまり古いものではなさそうです。絵図に描かれているものとは同一ではないでしょう。どちらにしろ開山座禅窟の上で丘陵頂部となるここがその火災消滅塔位置だったと思われます。

見晴台付近にある石塔

ここ見晴台からの景色は雄大です。半僧坊権現からは建長寺の谷戸しか望めませんが、あと少しだけこの見晴台まで登ると、建長寺ヶ谷と鎌倉ヶ谷を同時に望めます。建長寺に限った話ではありませんが、建長寺では火災などによる被災により伽藍が何度も失われています。きっと建物だけでなく多くの方も犠牲になっていたことでしょう。消滅塔をこのように雄大な景色を望める場所に設置した切実な思いが伝わってくるようです。

見晴台からの景色 左手に鎌倉中心部 右下に建長寺中心伽藍

下画像は紅葉時期に天園ハイキングコースを歩いたときのものです。こうして見ると、建長寺境内もとてもキレイそうです。絶対混んでるだろうから行く気になれませんが、紅葉時期に一度は行ってみたいものです。

火災消滅塔位置にある見晴台からの景色 



探索期間 2012年10月 2014年10月
記事作成 2014年11月21日

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