2014年11月27日木曜日

建長寺中心伽藍


山号寺号 巨福山建長興国禅寺
建立   建長五年(1253)
開山   蘭渓道隆
開基   北条時頼


建長寺縁起


寺号は建長寺が創建された元号を朝廷の使用許可を得て付けたもので、山号は地名の巨福呂(小袋)、もしくは巨福呂坂からとったという説と、建長寺塔頭の西来庵の裏山の名前からとったという説があります。風土記では後者の説の方だろうとありました。建長五年(1253)北条時頼が宗から来日した蘭渓道隆を開山に迎え、日本初の禅寺となる建長寺を創建しました。また、開山の蘭渓道隆が死後に贈られた大覚禅師の号は、こちらも日本初の禅師号となります。

巨福呂坂トンネル

心平寺と地獄谷


もともと建長寺があった谷は地獄谷と呼ばれた処刑場でした。ここには伽羅陀山心平寺というお寺がありました。廃寺となって地蔵堂だけが残っていたのを、建長元年に北条時頼がその地を開いて建長寺を創建するために巨福呂(小袋)坂に移建したと云われています。『鎌倉大日記』に「建長元年小袋坂地蔵堂建立」とあるのはこのことだと考えられています。心平寺は、巨福呂坂トンネルが開通した明治頃まで残されていたそうです。『建長寺伝延宝図』にも描かれています。位置はちょうど建長寺塔頭の円応寺の対面で、建長寺入口のすぐお隣となります。

建長寺伝延宝図

建長寺伽藍


建長寺総門をくぐると、三門・仏殿・法堂・方丈と、壮大な伽藍が直線上に建ち並んでいます。創建当初からのものは、永仁元年(1293)の地震や正和四年(1315)の大火で焼失しています。現在あるのは近世にて沢庵和尚などの尽力によって再建・復興されたものです。創建当初から唯一残された景色が、開山の蘭渓道隆が宋から持ってきた種を植えたと伝わるビャクシンの樹です。その立派な幹回りに、長い歴史を生き抜いてきた威厳を感じます。

Google map 建長寺
①総門 ②三門 ③梵鐘 ④ビャクシン ⑤仏殿 ⑥法堂 ⑦方丈


三門


三門は、安永四年(1775)に落成したもので、昭和29年と平成8年に大規模な修復が行われました。二階部分には釈迦如来像・十六羅漢像・銅製五羅漢像などが安置されています。

三門

梵鐘


三門右手にある鐘楼にかけられた梵鐘は、建長七年(1255)北条時頼の寄進で、関東鋳物師の筆頭物部重光の作品です。銘文に「建長禅寺」と刻まれています。日本の禅寺がここから始まったことを表しています。ここ建長寺ともう一つ、埼玉県比企郡の慈光寺に彼の作品と伝わる梵鐘が残されているそうです。

梵鐘

柏槇


三門と仏殿の間に植えられたビャクシン(柏槇)は、上記したように、大覚禅師お手植えとも伝わるもので、鎌倉で最も古く、建長寺創建当初からあったものです。元弘元年(1331)の指図にも描かれています。そう言われると確かに、凄い様相です。なんてったって北条時頼や大覚禅師と会ってますから。

ビャクシン

仏殿


仏殿は、徳川二代将軍秀忠夫人の崇源院を祀っていた増上寺の霊屋を正保四年(1647)に譲り受けたものです。崇源院は、いわゆる浅井三姉妹の末子となる於江与の方です。仏殿内部には、本尊地蔵菩薩を安置する他、かつてあった祖師堂・土地堂に祀られていたであろう伽藍神・祖師像などが安置されています。

仏殿
本尊地蔵菩薩像

法堂


法堂は、「住職が修行者に説法する場のことで尊像を安置しない。法座といって住職があがって説法する場所だけがつくってある。これが法堂本来の姿であるが、後にはひろく儀式を行うのに用いられるようになった。」と建長寺発行の『建長寺』にありました。現在の法堂は、文化十一年(1814)10月に上棟されたものです。天井には日本画家の小泉淳作が描いた水墨の雲龍図が掲げられ、堂内奥には千手観音像が祀ってあります。

法堂の素敵すぎる天井
千手観音像

方丈


方丈は竜王殿とも云います。昭和15年(1940)に京都般舟三昧院の本堂を移築したものです。唐門は、寛永三年(1626)頃に造営された崇源院御霊屋の唐門を正保四年(1647)に移建したものです。唐門とは中国式の門という意味ではなく、唐破風(反曲した曲線状の破風)になっている門のことを指すそうです。

方丈
唐門
方丈内部

建長寺


元亨三年(1323)頃の建長寺関係者は、僧を含めて1000人は下らないと云われています。お寺で必要とされた米は、1年間で3000~4000石、年貢は5000貫に達していたとありました。もうこれはちょっとした一市町村の年間予算並みです。ですから寺領はともかく莫大なものであったことが想像に容易です。中世末期から近世にかけて多くの塔頭が廃絶しましたが、現在の建長寺の末寺数は407、檀家8万有余を擁します。

法堂と仏殿

建長寺は何と言っても、敷地面積が広く、特に伽藍が配置された場所以外の旧態地形部分が広大です。寺院跡ややぐらなどの土木遺構が良好に残されています。これら広大な敷地を旧態のまま維持できていることからも、建長寺の経営状態が良好なのがよくわかります。このままの姿を保てるよう今後も建長寺が栄えることを願っています。

半僧坊から眺めた建長寺ヶ谷 向こうに見えるのは中心伽藍部分



探索期間 2012年10月 2014年10月
記事作成 2014年11月27日

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