2015年6月12日金曜日

葉山 堀内地区


葉山の鐙摺から森戸海岸の辺りまでを堀内と云います。堀内という地名は日本全国どこでもみられますが、お殿様の邸跡であったことにその名が由来するケースがほとんどのようです。ですからここ葉山の堀内にもどうやらお殿様がいたようです。もちろん三浦一族の誰かでしょうね。

Google map 葉山
①長柄 ②堀内 ③一色 ④下山口 ⑤上山口 ⑥木古庭

三崎道


三浦半島を南下する海岸線、県道207号線の道筋は、近世の絵図に描かれた「三崎道」をベースに敷かれたものだと思われます。このまま海岸線を下れば三崎に着くので、そのまま「三崎道」と名付けられたのでしょう。実際にも道沿いに古い史跡が点在しています。近世どころか鎌倉街道でもあったと思われます。

鐙摺城跡から見た三崎道

鎌倉中?


この辺りからは江ノ島がよく見えます。鎌倉にいるようです。将軍頼経が七瀬の御祓を行った際、杜戸(森戸)がその七瀬の一つに入っているので、当時は森戸まで鎌倉中(鎌倉の内)だったのではないかと思わせる景色です。

諏訪神社から眺めた景色

上画像は鐙摺からも近い諏訪神社から眺めた景色です。縁起に「諏訪の大神は古来より風占いの神として漁の安全を祈る漁師に信仰されていた」とありました。海の近い土地ならではの神さまです。アライグマとかタヌキを連想させる可愛い狛犬が出迎えてくれます。

諏訪神社の狛犬

堀内の殿を探せ!


さて、堀内にいた殿とは誰でしょう。そもそも葉山には上山口・下山口と、現在でも「山口」の大字が残されているように、三浦義澄の次男となる山口有綱の領地が葉山の大部分を占めていたと考えられています。また、三浦氏の家子長江氏がここからも近い長柄に拠を構えています。さらに、有名な亀姫事件では、伏見広綱が亀姫を連れ命からがら逃げ出し、船に乗せて鐙摺にあった大多和義久邸に逃れたと『吾妻鏡』にあります。これらのことからも、山口氏・長江氏・大多和氏などの邸が堀内にもあったと考えられますが、なんと『葉山町の歴史とくらし』(以下歴史とくらし)に、三浦大介義明の六男で杜戸六郎重行が堀内長徳寺の辺りに邸を構えていたとありました。

Google map 葉山堀内
①鐙摺 ②竹ノ谷 ③番場 ④堀内長徳寺 ⑤森戸神社

三浦義明の六男とはいえ、杜戸六郎重行という名をなかなか耳にした覚えがありませんが、鈴木かほる著『相模三浦一族とその周辺史』(以下周辺史)よれば、三浦大介の六男重行は、摂津国杠峰にて杠姓を称し、守護職に補任したとありました。資料に乏しいため詳しく言及できませんが、将軍実朝が森戸に訪れた際、駄餉(外出先での食事を用意する役)に関わったという資料がないことからも、摂津国に常駐していたのではないかと考えることもできます。

堀内長徳寺 杜戸六郎重行邸跡か?

ということで、ちょっと堀内長徳寺に寄ってみました。お寺は拝観者を受け付けていないような雰囲気で、本堂とお墓ぐらいしかない小さなお寺でした。しかし辺りを観察すると、長徳寺がある土地だけが街道や周辺の住宅より少しだけ高台になっていることに気付きます。また、杜戸邸の掘の役目を果たしたのではないかと思われる森戸川がすぐ側を流れています。

右側が長徳寺
森戸川 杜戸邸の堀か?

これが杜戸六郎重行の邸跡だったのかどうかはわかりませんが、そう云われれば、武家邸っぽい雰囲気も感じられなくもありません。

竹ノ谷


もう一度上の地図画像を見てください。番号②の竹ノ谷というところですが、『歴史とくらし』に、竹とは館から転訛したもので、こちらも武家邸だった可能性も高いといった旨が記されていました。さらに周辺ではやぐらが見つかっているそうです。それもそのはず、あの辺りに慶増院というお寺が以前にあったそうです。慶増院と聞いて、詳しい方ならピンとくると思いますが、池子の東昌寺にある乾元二年(1303)の五輪塔は、慶増院にあったもので、二階堂行心の墓と伝わっています。

東昌寺にある五輪塔

さらに、同じく『歴史とくらし』の地名マップに、竹ノ谷の辺りに二階明神跡と記されています。どういう経緯のなのか詳しいことはわかりませんが、五輪塔の件からも、竹ノ谷にいたのは二階堂氏ということも考えられるのでしょうか。

竹ノ谷 堀内を見下ろせる高台にある

ちなみに東昌寺の現地案内板に、昭和51年に合併・合祀に伴い、五輪塔を東昌寺に移転・安置したとあったので、慶増院が廃されたのは比較的近年なのかもしれません。そこで、堀内の一画に怪しい箇所を見つけました。どう見ても神社・お寺跡にも思える一般住宅には見えない一般住宅がありました。あれがもしかしたら二階明神跡、もしくは館ノ谷(竹ノ谷)の邸跡かもしれません。やぐらの件もあるので、もう少し調べたい気もありますが、葉山の観光地は海側だけです。あまり観光客が住宅街まで入っていくのははばかれるので、深入りするのはやめておきました。

絶対お寺か神社だったでしょっ!って感じの外観

その他、上地図画像にも記しましたが、森戸海岸の近くに「番場」という地名が伝わっています。往時では三浦氏の馬場があり、頼朝が馬揃えを検分したなどと伝わっています。また、森戸神社には頼朝の別荘があったということからも、堀内には一般的な武家邸だけに留まらず、多様な施設が軒を連ねていたのかもしれません。

竹ノ谷から見えた景色 なんと森戸神社まで見える



カテゴリー 探索記事(エリア別 葉山
記事作成  2015年6月12日

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