2015年7月6日月曜日

満願寺


山号寺号 岩戸山満願寺
建立   寿永三年(1184)
開山   大達明岩正因
開基   佐原十郎義連


満願寺は、三浦一族の本拠地大矢部からも近い岩戸という場所に所在しています。満願寺開基の佐原十郎義連が居したと伝わる佐原城跡が近くにありますが、横横の佐原インターからも近く、土地開発が進んでいるため、見る影はありません。佐原十郎義連は三浦大介義明の末子です。満願寺という寺号は彼の法号に因みます。

Google map 横須賀

満願寺縁起


満願寺の縁起によれば、寿永三年(1184)、佐原義連が平家討伐のため西国に出陣する際、自らの姿を像に刻ませ、一堂を建立して安置し、軍功成って帰郷後、大伽藍を建立し満願寺と号したと伝えられています。寿永三年(1184)2月の時点で19歳とあったので、ちょうど怖いもの知らずの年頃だったでしょうか。義連は、一ノ谷合戦であの有名なひよどり越えの崖を真先に駆け降りて活躍したことでも知られています。凱旋後に左衛門尉に任ぜられました。まさに願い叶って「満願」。

満願寺境内


鎌倉のように拝観者の目を楽しませてくれるお寺が少ない三浦半島にあって、満願寺は、あたかも「ようこそ」と出迎えてくれるかのような素敵な境内でした。宗派を見てみると臨済宗建長寺派となっていたので納得です。というかあれだけ素敵な禅寺が一箇所に集中する鎌倉が特異な場所なのだと、三浦半島をめぐって改めて思い知らされました。本堂の前にある枯山水庭園、そしてちょっとした竹林が隣接し、階段を登った丘陵中腹に義連の廟所があります。あたかも鎌倉にいるような雰囲気なので、どこかにやぐらがあって、しかもそのまま裏山に登って行けそうな感じがしてきます。


近年の発掘調査では、創建当初の伽藍は数十倍の広さを持つ寺領百貫の一大伽藍であったと縁起に記されていました。が『新横須賀市史』には数倍とあったので話をちょっと盛ったでしょうか。また、義連建立の一堂をもとにして、子息の景連・盛連・家連らによってその菩提を弔うため、さらには佐原一族の氏寺として伽藍が整備されたものであろうと同書にありました。

境内にある礎石群

佐原義連廟所


本堂奥の階段を登ると、お堂と石塔が安置されています。ちょっと上と下でサイズが合ってない感じもしますが、石造物自体はかなり古そうです。後述する満願寺所蔵の鎌倉期の仏像がここにあった観音堂に安置されていたそうです。

佐原義連墓

満願寺所蔵国指定重要文化財


満願寺には鎌倉時代に制作された貴重な仏像が遺されています。2m以上ある木像菩薩立像・木像地蔵菩薩立像は、制作年代・作者など定かではありませんが、構造・形相からみて、運慶一派に学んだ仏師によって鎌倉時代初期に制作されたもの、そして毘沙門天像・不動明王像は、鎌倉時代中期以後に地方仏師による制作と考えられています。

満願寺にある案内板

四体の仏像は宝物殿に安置されています。ちなみに私は見学してきました!運慶一派による造形物なのかどうかまでは私の知識ではわかりませんでしたが、2m以上ある木像立像の迫力と風格にただただ圧倒されました。
(※拝観には事前予約が必要です。)

佐原義連と佐原氏


『吾妻鏡』の治承五年(1181)6月19日条に、頼朝が納涼のため三浦に出向いている記事があります。上総広常が頼朝に対して下馬の礼をとらなかったというあの有名な場面があった当日ですが、その場所は葉山のしおさい公園の辺りに比定されています。その後、宴会の席では、岡崎義実が頼朝から水干を賜ったことに上総広常が妬み「岡崎のような老いぼれにはもったいない、私のような者が賜るべき」と言い争いになります。ここで佐原義連がうまいことその場を収拾し、頼朝から気に入られている様子が記されています。三浦宗家が滅んだ宝治合戦の後、三浦介を引継いだのがこの佐原義連の子孫です。

義連廟所から境内を眺めた図

羅漢像


竹庭に何体もの石像物が置かれていました。表情がとてもリアルです。ちなみに満昌寺に同じくそっくりな石像物がありましたが、「お釈迦さまの弟子たちが修行するとき師を尊敬崇拝する姿を形にした像である」とあったので、こちら満願寺のものもそのような意味合いなのかもしれません。「師を尊敬崇拝する姿」には似つかわしくない表情のものもありますが・・。

満願寺の羅漢像



カテゴリー 探索記事(エリア別 横須賀
記事作成  2015年7月6日

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