森戸神社
森戸神社は源頼朝が三島明神を勧請して創建されたと伝わる神社です。境内からの海の眺めに魅了される景勝地です。
森戸神社
社号 :森戸大明神祭神 :大山祗命 事代主命
創建 :治承四年(1180)
住所 :神奈川県三浦郡葉山町堀内1025
駐車場 :有り
森戸神社は、鐙摺から少し下った葉山町堀内地区の岬に所在しています。飲食店などの集積要因が集中する葉山元町からも近く、また森戸海水浴場に隣接している賑やかな土地です。
葉山元町 |
杜戸(森戸)
森戸神社の近くに「番場」という地名が伝わっています。往時では三浦氏の馬場があり、頼朝が馬揃えを検分したなどと伝わっています。その他『吾妻鏡』では、頼朝が納涼や小笠懸などの行事を森戸で行っている様子が記されています。これら状況証拠からも、鎌倉から森戸までの船路が既にあったこと、また多くの船が停泊可能な入江が森戸にあったことなどが推測されています。
森戸神社縁起
縁起によれば、源頼朝が伊豆に配流中、三島神社に源氏再興を祈り、治承四年(1180)八月、挙兵が実現したことから、ここにあった山王社に三島明神を分祀したと伝えられています。
三島市にある三島神社 |
森戸神社境内
鳥居をくぐると参道沿いに祠がたくさん並んでいます。色々な神様が合祀されているようです。大きな神社でよく見られる風景ですね。その先に本殿が鎮座しています。境内より駐車場スペースの方が広いという地方都市ならではの絶妙な敷地配分に戸惑いを隠せません。
樹齢800年の飛柏杉
本殿裏の少しだけ地形が盛り上がった箇所に、樹齢800年以上の飛柏杉(ビャクシン)があります。三島より種子が飛来したという伝説があるそうです。建長寺にあるビャクシンも鎌倉時代からあるものですが、圧倒的なぶっ太い幹周りでした。一方でこちらは建長寺のものとは比較にならないほど貧弱な様相ですが、石やつっかえ棒でようやく支えられている様は、杖をつく老人のようで、樹齢800年なのかと言われればまぁそんな気もしないでもありません。
飛柏杉 |
千貫松
境内裏手から海を望めます。切り立った崖のような岩に松が植えられており、千貫松と呼ばれています。養和元年(1181)、頼朝ら一行が三浦大介義明追悼のため衣笠城へ向う途中、この地で休憩し、傍らにある松を見て頼朝が「いかに珍しき松よ」と言うと、和田義盛が「我らはこれを千貫の値がありとて千貫松と呼びて候」と返したそうです。この千貫松、小さいのでたぶん何代目かなんでしょうね。
千貫松 |
御殿原
森戸神社のすぐ裏の海岸には、岩浜が沖の方にまで続いています。その向こうに鳥居が立てられている素敵な風景です。『三浦半島の史跡みち』によれば、源頼朝がここに別殿を建て御殿原と呼んだとありました。現在でも柱跡や井戸跡が残されているそうです。
柱跡や井戸跡があるのは、あの向こうの鳥居のことでしょうか。ちょっとわかりません。夏になったらここで泳ぐついでに行ってみようかと考えていたところ、既にあんな所まで誰か行ってます(このとき5月)。下画像の人たちは柱跡とか井戸跡とかきっと興味ないんでしょうね・・。
葉山と言えば別荘地としても有名ですが、『三浦半島の史跡みち』では、源頼朝が葉山で最初に別荘を建てた人ではないだろうかとありました。確かに。
夕照の森戸
森戸は夕照の地として知られています。以前に三浦半島の友人に連れてきてもらったことがあります。画像はそのときのものです。冬だというのにカメラを持った人がたくさんいました。
中央やや左に千貫松 |
霊所七瀬の御祓い
『吾妻鏡』貞応三年(1224)6月6日条に、将軍頼経が七瀬の御祓として祈雨の儀式を7ヵ所で行わせたとあります。由比浜・金洗沢・固瀬・六連・狎河・杜戸・江嶋龍穴の7ヵ所です。霊所として杜戸(森戸)が七瀬の一つとして数えられています。ちなみに「金洗沢」は七里ヶ浜の辺り、「六連」は六浦、「狎河」は上郷の「いたち川」、「江嶋龍穴」は江ノ島です。あとはわかりますよね。
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