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清雲寺

2015/07/08

カ)三浦半島 三浦氏 社寺

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基本情報

山号寺号 大富山清雲寺
開基   三浦為継


三浦一族の本拠となる横須賀市大矢部に清雲寺は所在します。『新横須賀市史』(以下市史)によれば、三浦為継の開基とありました。為通の没年が天仁元年(1108)なので、お寺の創建はそれ以前ということになります。為継は、頼朝の旗上げの際に衣笠城で自刃した義明の祖父にあたる人物です。

Google map 横須賀

清雲寺境内


バス通りから坂道を登って行くように向かいます。グルッとした形状が昔からある旧道っぽい雰囲気です。『横須賀こども風土記』(以下風土記)にこの辺りを「クリヤマ」と云うとありました。「クリヤマのクリとは住職やその家族の居間を意味する庫裏のことでしょう」とあったので、現在の清雲寺は往時の庫裏部分に建てられているようです。

清雲寺に登って行く坂道
山門へ向う階段

坂を登ったところから今度は階段を登って本堂に行くのですが、おかしなことにその脇に旧態の登り道があります。ここが清雲寺の庫裏だったという名残りでしょうか。クリヤマという伝承が何となく納得いく地形をしています。

旧態の出入口

境内は往時の庫裏部分だけあって広くはありません。階段を登った先にある本堂のある平場、そしそこからまた階段を登ると三浦三代の墓と伝わる廟所があります。狭いながらも地形に細かい高低差がみられます。

本堂

ご本尊と円通寺


清雲寺からバス通りを挟んだ向こうに円通寺というお寺がありました。円通寺も三浦氏の菩提寺で、永保三年(1083)に没した三浦氏の祖為通の開基と伝えられています。この円通寺から移された観音菩薩像が現在の清雲寺の本尊です。為通が奥州会津で拝領したと伝わっていますが、作風から義村在生期のものだろうと考えられています。なかなか他では見ない艶やかなご本尊で、膝を立てた面白いスタイルをしています。また、もともとの清雲寺の本尊であった毘沙門天像もなかなかの逸品です。こちらは和田合戦で和田義盛のために敵の矢を受け止めたと伝わっており、鎌倉中期以前の作品となります。

清雲寺のもともとの本尊 現地案内板より

三浦三代の墓


本堂からまた一段高い場所に登ったところに、三浦為通・為継・義継の三代の墓と伝わる五輪塔があります。こちらも円通寺から移されたものですが、なんと、円通寺には20基ほどのやぐら群があって、五輪塔はそのやぐら内にあったものなんだそうです。円通寺跡は、現在自衛隊の敷地となっているため、立ち入ることは出来ませんが、やぐらは健在だとありました。見れないので残念だと思う一方、逆に自衛隊敷地内だからこそ、近現代の土地開発から免れやぐら群が残されているとポジティブに考えたほうがいいでしょう。いつか見学できる機会があるかもしれません。

廟所への参道

本堂から廟所に向う途中に燈籠が並んでいます。廟所には、前述した三浦三代の墓と云われる大きめな五輪塔と、和田九十三将のものと伝わる五輪塔郡が側に並べられています。風格と威厳が伝わってくるこの石塔に、思わず本物なんじゃないかと思えてきました。

三浦氏三代の墓

清雲寺の地形


清雲寺近辺の宅地部分が往時からある平場を利用したものだとすれば、清雲寺のある丘陵部にはちょっとしたひな壇状地形が形成されています。近現代の土地開発とも考えられますが、上述したように清雲寺の参道は旧道の様相をとどめており、それほど地形を根底から崩されていない自然界特有の曲線が残されています。

清雲寺山門前 民家が段々に連なっている

赤星先生が『三浦半島城郭史』に以下のように記しています。
「自然の要害としての低丘陵上を選んだとすれば、今の清雲寺のある丘が適当であるし、馬蹄形状の形式をとって小谷を邸に選んだとすれば満昌寺の西側にも薬王寺の東側にも小谷はあるが、満昌寺西側の谷が要害上好適である」

Google map 大矢部

つまり三浦氏がこの地で邸を建てるのであれば、清雲寺・薬王寺跡・満昌寺の辺りだろうと述べています。現在満昌寺西にはゴルフ場、薬王寺跡裏には地図で見る限りマンションのような建物があります。したっがって検証する手だてもありませんが、清雲寺に限ってはこのように地形の名残りが幾分とどめられています。往時ではこの地をどのように活用していたのでしょう。誰かの館があったのか、または想像を膨らませると砦に近い城郭が施されたのかもしれません。もしくは単に往時の清雲寺の造作なのかもしれません。

満昌寺から見た清雲寺 中央正面の丘陵

清雲寺境内


前述したように、清雲寺には円通寺から移された三浦氏三代の墓と伝わる五輪塔がありますが、それだけではなく、歴史を感じさせる古そうな石造物がいくつか置かれていました。たぶんそれらも円通寺から移されたものだと思われます。それから、私が訪れたこのときはちょうど見頃となった真っ白な紫陽花が迎えてくれました。狭い境内ながら色々と整備されているようでした。



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