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熱海七湯めぐり【所要時間と各温泉の歴史】〈マップ付き〉

2019/06/24

熱海 熱海七湯

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熱海七湯


熱海七湯とは、大正時代まで熱海に自噴していた源泉を熱海市がモニュメントとして整備・復元したものです。そこでこの記事ではこれら熱海市街地に散りばめられた熱海七湯を効率的にめぐるコースを設定してみました。

熱海七湯

基本情報

コース名 :熱海七湯めぐり
カテゴリー:ウォーキング
出発地点 :熱海駅
到着地点 :風呂の湯・水の湯
距離   :大よそ1.9km
所要時間 :大よそ25分
体力消耗度:1/5



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熱海七湯をグーグルマップに印してみました。こちらで大よその見当が付くかと思われますが、さらに熱海七湯めぐりウォーキングコースとして、熱海駅から七湯を効率的にまわる道順を示してみたので、上図と下図を対比させれば迷うことはないと思います。

国土地理院の地理院地図
①野中の湯 ②大湯間歇泉 ③小沢の湯 ④清左衛門の湯 ⑤河原湯 ⑥佐治郎の湯・目の湯 ⑦風呂の湯・水の湯

熱海駅から連なるバス通りを下り、図書館や来宮神社方面に向かうよう右折して進むと最初の七湯の①野中の湯となります。そこからまた進んで図書館の横に階段があるのでそれを下って行くと②小沢の湯となります。また④の清左衛門の湯はバス通りから階段を下りた所にあります。

行って戻ってという箇所もありますが、番号順に進むのが最も効率的なまわり方かと思われます。これで熱海駅から大よそ25分程度でまわれると思います。しかし、色々と目を奪われる景色やお店が道中にあると思うので、この通りはいかないかもしれません。その都度その都度ご自分でアレンジしてみてください。

〈熱海七湯〉野中の湯


それでは、熱海七湯の各温泉の紹介をしたいと思います。まずはこちら野中の湯です。上記したように七湯はあくまでもモニュメントなのですが、箇所によっては本当に暖かい蒸気を発生させています。野中の湯は温泉の湧き出るところが浅かったため、入浴にはあまり利用されていなかったそうです。

野中の湯

目の前に小高い丘の上にマンションが建っています。現地案内板にある古絵図にも山のような丘が描かれています。野中山といいます。現在の状況からはこの場所が昔はこんな雰囲気だったなんて一概には信じられませんね。絵図は天保三年(1832)に刊行された『熱海温泉図集(熱海温泉図彙)』を使用しています。

熱海温泉図集 野中の湯

現地案内板によれば「この辺りの土は丹(赤色の土)のようで、壁を塗る材料にしました」とあります。野中の近くで建築現場を見かけましたが、確かに、土の色が凄いことになっています。東京などの都市部ではこんな色の土は見ないですよね。さすがジオパーク熱海。

熱海の建築現場

〈熱海七湯〉温泉卵を作れる小沢の湯


野中の湯から移動してこちらは小沢の湯。この辺りが昔は小沢という地名だったことから小沢の湯と呼ばれています。また平左衛門の湯とも呼ばれています。面白いことに湧出口に網が置かれているので卵を茹でることができるよう工夫されています。8分ほどで出来上がるそうです。個人的には一度だけ本当に茹でている人を見かけたことがあります。

小沢の湯
小沢の湯

〈熱海七湯〉熱海の歴史を語る大湯と湯前神社


そして早くも熱海七湯のメインイベント。走り湯と共に熱海を代表するのが大湯と呼ばれるこちらの温泉。間歇泉・自噴泉と呼ばれるタイプで、往時では地面が揺れるほど湯と蒸気を交互に激しい勢いで噴出していたと云われています。

残念なことに現在は既に枯渇しています。昭和37年に人工的に噴出する間歇泉として整備されました。下画像は噴出している瞬間ですが伝わりますかね、この岩石の様相と相まってなかなかの迫力です。噴出は間隔をおいて行われます。

大湯
大湯

大湯の近くに湯前神社があります。湯の前ということで、この湯は大湯を指していることは明白でしょう。ちょっと調べてみたところ、『熱海市史』に、「箱根山を開いた万巻上人が海中に湧出した熱湯を大湯の地に移させたのが根源であると伝えられている」とありました。またそのとき出現した山神が湯前明神であって、それ以来、温泉守護の神として現在の地に鎮座したとあります。

そして『伊豆国神階帳』に「従四位上熱海湯の明神」とあるので、大湯は少なくとも平安末期には既に認知され崇められていた温泉であったことがわかります。見た目も凄いですけど歴史も凄いですね。

湯前神社

〈熱海七湯〉清左衛門の湯と湯けむり越しの紫陽花


そしてこちらがバス通りから階段を下りたところにある清左衛門の湯です。「その昔、農民の清左衛門が馬を走らせて、この湯壺に落ちて焼け死んだことからその名が付いた」とありました。なんならサスペンス・ドラマの題材にでもなりそうな意外な由来にちょっと引きますが、農民なのに後世にて名を残せて良かったとポジティブに考えてあげることにしました。

清左衛門の湯

紫陽花が近くに咲いています。ですからこれ湯けむり越しの紫陽花ですよ。こんなシチュエーションなかなかな見たことがありません。

清左衛門の湯
清左衛門の湯

〈熱海七湯〉河原湯とゴロゴロ石


河原湯を目指すと国道に出ます。ビーチ(親水公園)がすぐそこです。温泉街を歩いてきたこともあって急に開けた雰囲気に感じます。

国道沿い

河原湯は、現地案内板によれば、「昔はこの辺りを東浜といい、道もなく石のごろごろした河原で、温泉が絶えず豊富に湧き出ていた村人の入浴場だった」とありました。また「熱海の湯の大抵は湯治客や限られた家が使用していたため一般庶民が自由に入浴できるのはここ河原湯だけだった」ともあります。そしてこちらの湯は神経痛やリューマチなどに効能があるそうです。

河原湯

こちら下画像は『熱海温泉図集』にある河原湯です。海のすぐ近くにある雰囲気が実感できます。現在の河原湯の位置とこの絵図の尺が正確であるならば、国道と海岸沿いにある親水公園は埋め立て地ということになります。

熱海温泉図集 河原の湯

熱海湾の海中に同じサイズの石がたくさん積み重なっています。現地案内板に「石のごろごろした河原」という説明がありましたが、この海中に沈んでいるごろごろ石は絵図に描かれていたものかもしれません。絵図とそっくりです。

熱海湾のゴロゴロ石

〈熱海七湯〉目の湯と銀座町


次に目指す目の湯は熱海銀座町の商店街の真っ只中にあります。美味しそうなメニューのあるお店が並んでいるのでここで熱海七湯を忘れてしまう人もいるかもしれません。駅前の熱海プリンがいつも行列していますが、こちらでならすぐ購入できます。

銀座町商店街
熱海プリン2号店

そしてこちらが商店街のなかにある目の湯。火傷や眼病に効くということから目の湯と呼ばれるようになりました。ちなみに「現在は目には効用はないので目を洗わないでください」と断り書きがありました。逆にここで目を洗おうとする人を見てみたいと思いました。また佐治郎の邸内にあったことから佐治郎の湯とも呼ばれています。

〈熱海七湯〉風呂の湯・水の湯に浮かぶブーゲンビリア


そして最後の風呂の湯・水の湯です。現地案内板に「風呂の湯の傍ら1.5mほどの東のところに塩分のない温泉が湧き出ていました。」とあったので、このように二つの湯が一緒にされているようです。また熱海市誌に「淡泊無味常水を温めるもののごとし、故に水の湯と名付く」と記されているそうです。

風呂の湯・水の湯

湯面にキレイな花びらが漂っていたので「この花はどちらから」と思って辺りを見渡すと、近くにキレイな花がありました。熱海名物のブーケンビリアです。

風呂の湯・水の湯
近くで咲いていたブーケンビリア

こちら下画像は風呂の湯・水の湯の古絵図ですが、ちょうど坂道の下に描かれているのがわかると思います。実際に現地に行くと風呂の湯・水の湯のモニュメントがある場所は絵図に描かれた地形と酷似していることがわかります。実際ホントにこの辺りにあったものなので当たり前と言ったら当たり前ですが、昔の名残りを見つけられた感動があります。

風呂の湯・水の湯
風呂の湯・水の湯の坂道

昭和初期に観光地として大々的に整備されてしまった熱海に、江戸時代の古絵図を偲ばせるものなど何も残ってないように思えましたが、よくよく観察するとこのように意外にもその名残りを見つけることができました。熱海七湯めぐりにはそんな楽しみ方もあると思います。

風呂の湯・水の湯からの坂道の景色

熱海で観光名所を探している方は良ければ下のリンク先もご覧になってください。ブーケンビリアが咲き乱れる糸川遊歩道や、他では見ることがなかなかできない温泉洞窟など色々ありますよ。

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