今回は熱海市にある石仏の道の11町目という場所に向かいました。熱海駅からバスに乗り、最寄りとなる笹良ヶ台入口で降車し、石仏の道5町目から11町目を目指し、そして11町目から頼朝みそぎの滝や明水神社を経て来宮神社まで歩いて帰ってきました。そしてこの道は伊豆山神社の壮大で複雑な縁起を理解するための行程でもありました。
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Google map 石仏の道
①十国峠 ②日金山東光寺 ③姫の沢公園 ④岩戸山 ⑤11町目 ⑥頼朝みそぎの滝 ⑦明水神社 ⑧来宮神社 ⑨来宮駅 |
伊豆山神社領域にあった東西南北の光の寺
『熱海市史』に、とてつもなく興味深く、そしてとてつもなく面白そうな一文がありました。以下熱海市史からの引用です。
「日金山は走湯山権現の奥宮中心の四至のなかに位置づけられ、雷電と光と地蔵を結び付ける神仏習合の論理に裏付けられながら、東西南北の地蔵堂、つまり東光・西光・光南・光北の四つの寺が、この四至内に結び付けられる。」
つまり日金山から伊豆山に至る伊豆山神社の領域には四至(四方結界)となる東西南北の光の寺がかつて存在し、現存する日金山東光寺はその光の寺の一つとなるようです。そこで今回は四至の南の光の寺が日金山石仏の道11町目にあったということなので訪れてみようと思いました。その南の光の寺についても詳しい記述があるので熱海市史から引用します、以下。
「11町で土沢の地蔵堂に着く。そこが空海の弟子・杲隣が隠遁したという土沢山光南寺で、真然の兄弟子であった山城の神護寺の二世真済が東国に巡化したとき、ここに参籠して愛染明王法を修したとも伝えられる。」
南の光の寺を土沢山光南寺と云い、また土沢地蔵堂とも云います。しかも空海のお弟子さんが開いたお寺のようです。面白そうですね。
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石仏の道 |
石仏の道は、熱海市街地から日金山東光寺に至ります。一町ごとに石仏が置かれており、42町目まで存在します。また上記したように、光南寺は四至の一画を担う寺院です。ちょうど光南寺のある辺りから上には住宅はありません。伊豆山神社の結界・境界線だったことが現在にまで影響しているからなのかもしれません。
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石仏の道 42町目
熱海で十国峠・岩戸山・伊豆山ハイキングコースより |
そしてさらに興味深いことに、弘安五年(1282)2月18日に、熱海地蔵堂の梵鐘を忍性が勧進僧として造立していることがわかっています。この熱海地蔵堂とは、日金山東光寺や今回向かう光南寺などの伊豆山神社領域にあった四至・四寺のどれかだという説もあるそうです。
石仏の道
熱海駅からバスに乗車、最寄りとなる笹良ヶ台入口で降車すると、思ってた以上に標高がありました。石仏の道へ向かい、11町目を目指します。
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バス停笹良ヶ台入り口からの景色 |
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笹良ヶ台町 |
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石仏の道の丘陵部入口 |
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石仏の道5町目 |
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石仏の道7~8丁目 |
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石仏の道8~9丁目 |
石仏の道11町目
尾根道からまたコンクリート舗装された町の一画に出ると、なにやら存在感のある杉の木の側に11町目を示す石像仏と寺院跡のような痕跡がそこにありました。
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11町目の杉の木 |
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一画に残された寺院跡らしき痕跡 |
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石像仏 |
ここがどうやら土沢地蔵堂・土沢山光南寺の旧跡のようです。参道部分だけが残されていてその先は民家となっています。最盛期には64棟もの坊舎が伊豆山神社領域に存在したと云われているので、このような旧跡が熱海にはたくさんあったのでしょう。
また地図を見ると、この辺りちょっとした集落となっているので、光南寺に関する伽藍や坊舎のための平場が元々あったのかもしれません。
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土沢地蔵堂・東南寺旧跡 |
ということで、伊豆山神社四至の一つで西南部にあった光の寺の跡を確認することができました。もう少し何か痕跡があればと思いましたが、熱海も土地開発が進んでいるので、あまり贅沢は言えません。わずかでも確かな痕跡があっただけ有難いのかもしれません。
それでは、来た道を戻るのもなんですし、頼朝の禊の滝という史跡にも行ってみたいので、このまま歩いて下りて行こうと思います。
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11町目付近からの景色 |
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あっ!熱海城w |
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途中の林道 |
頼朝みそぎの滝
頼朝みそぎの滝に到着。川沿いに石造物と鳥居があります。「ところで肝心の滝はどちら」と辺りを見回してもいっこうに見つかりません。まさかとは思いますが、側に流れる川がその禊の滝でしょうか、というかそれしか考えられません。
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頼朝みそぎの滝 |
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みそぎの滝・・・ |
もしかしてこの史跡は、鎌倉の誰々の墓と同じくツッコんではいけないやつなのかもしれません。なんか逆に申し訳なく思い、一応、川を滝に見えるようなアングルで撮っておきました。そして下画像のそれはもしかしたら、ししおどしを表しているのかもしれません・・。
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みそぎの滝のししおどし風 |
現地案内板をかなり簡単に要約すると、伊豆時代の頼朝さんがここに来ていたとのことです。それが本当かどうかは置いといて、現在のようにこの川が人為的に制御される以前は、きっとこの辺りで滝のように流れる箇所もあったのでしょう。そしてそれはきっと伊豆山神社の修験者たちの禊の場だったのかもしれません。
明水神社と四面塔
滝といっておきながら滝のない史跡に逆にビックリしましたが、気を取り直して先に進みます。道は先ほどの禊の滝とされた川に沿っています。そしてしばらくすると石仏の道の記念すべき一町目が見つかりました。本来はここから東光寺まで進んで行くようです。実際にここから歩くとなると、延々と登り坂なので結構きついかもしれません。というかいつの間にか石仏の道にアクセスしていたようです。
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石仏の道一町目 |
そして今度は神社が現れました。明水神社とあります。しかしこちらの神社、何故かグーグルマップには印されていません。現地案内板によれば、「熱海村のはずれにあるこの地には地蔵堂があり四面搭と呼ばれていた。左に「みしまみち」右に「ひがねみち」の石標があり、東光寺への山道の入口でもあった」とのことです。その石標が境内にあります。
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明水神社 |
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右端の石造物が石標 |
それにしても、ここにきてまた地蔵堂の存在が記されています。「この地」と言っているので先ほどの土沢地蔵堂のことではなさそうですが、よくわかりません。また「四面塔」という言葉も気になります。そこで熱海市史を見てみると、これまた興味深い記述がみつかりました、以下。
「丸山へ登る道を来宮神社から左へ10町行けば、西山の四面塔があり、空海の弟子・真然の住坊の跡とも云われる。」
「丸山」とは十国峠のことです。また「来宮神社から左へ10町」とは大よそ現在地を指すものと思われます。したがってこの辺りにその四面塔があって、さらにそこが空海の弟子で真然の住坊跡だということになります。いまいち確実ではありませんが、思ってもみなかった旧跡を見つけることができました。
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西山の辺り |
道を進むと相変わらず川がついてくる、というか側に流れています。ここで今さら気付きましたが、これ糸川です。前回に熱海港から来宮神社までの川筋を散策しました。さらに先月にはハイキングコースでこの糸川の源流となる沢をたどっています。なんか糸川を制した気分です。
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西山温泉街近くの糸川 |
来宮神社に近づいてきました。坂道の向こうに山が見えます。何てことのない、そして何気ない景色ですけど絶景だと思いました。ここにカフェとかあったら、せっかちな自分でも一時間ぐらいゆっくりできそうです。
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坂道の向こうに山が見える景色 |
来宮神社に到着。ここ最近、2ヵ月で3回、しかも全て泊まりで熱海に訪れていますが、そんなこともあってか、来宮神社自体を目指した訳でもないのに、来宮神社に訪れたのはこれで4回目になります。なんか縁があるのかもしれません。
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来宮神社側道 |
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来宮神社 |
今回は銀座町にホテルをとっているので、来宮神社からまた歩いて帰ります。この日は梅雨の晴れ間だったためか景色がすっきりしています。福道町から海の向こうに見える初島にある建物まで見えます。
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初島がくっきり見える! |
宮坂を下り、前回歩いた糸川の遊歩道にも寄ってみました。夕陽に照らされたブーケンビリアが前回とはまた違った美しさを醸し出していました。
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宮坂 まだ海が見える |
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糸川遊歩道に咲くブーケンビリア |
ということで、今回は、伊豆山神社領域の四至の一画を担う地蔵堂旧跡を現地で確認することができました。実際にあったお寺の痕跡だけでなく、伊豆山神社の領域や結界・境界線といった雰囲気を現地で体感できたことが、伊豆山神社、さらには熱海の歴史に少しは踏み込めたのかもしれないと思いました。
熱海関連地図
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