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円覚寺舎利殿〈禅宗様建築〉を見に行ってきた!

2021/11/07

円覚寺 鎌倉市

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円覚寺(宝物風入)舎利殿(禅宗様建築)を見に行ってきた!



円覚寺で毎年11月に行われる宝物風入(ほうもつかぜいれ)に行ってきました。そしてついにあの、国宝の、舎利殿をこの目にすることができました。そこで今回はその舎利殿について取材をしてきたのでその様子を記事にまとめてみました。

国宝円覚寺舎利殿

所在地  :円覚寺
住所   :神奈川県鎌倉市山ノ内409
駐車場  :なし
拝観時間 :8時~16時30分(宝物風入期間は別途要確認)
拝観料  :大人500円・子供200円(宝物風入期間は別途要確認)

舎利殿とは


舎利殿とは仏舎利(お釈迦さまの遺骨)を置くためのお堂です。円覚寺では、元々は執権北条貞時が弘安八年(1285)に建立した、源実朝が宋の能仁寺から分けてもらった仏舎利を納めるための祥勝院がありました。しかし建物が火災などで失われたため、西御門の太平寺の仏殿を移築し舎利殿としたものが現在にまで伝えられています。

太平寺は鎌倉尼五山の筆頭に挙げられる格式高い禅寺でしたが、諸説あるものの住持の青岳尼が太平寺を放棄し安房に渡ったことから、北条氏康の指示により取り潰しとなり、その仏殿が円覚寺に移築されることになりました。

青岳尼と尼五山一位太平寺

青岳尼と尼五山一位太平寺

尼五山第一位の太平寺住持を務めた青岳尼は、実名・生年ともに不詳となっています。但し弟の足利頼純の在命期間が1535~1601年とわかっているので、青岳尼の生年は少なくとも1535年以前の生まれだと推定されます。没年は興禅寺にある供養塔から天正四年(1576...


太平寺の仏殿が円覚寺に移築されたことは古文献・資料に記されています。伝承レベルのお話ではありません。したがって円覚寺にある舎利殿は間違いなく太平寺の仏殿であり、またそれは室町時代の禅宗様建築であることから国宝にも指定されています。

太平寺跡に行ってみた!

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円覚寺・宝物風入


毎年11月に行われる宝物風入の期間中は普段は公開されていない円覚寺のお宝を見学することができます。個人的にどうしても見たかった舎利殿もそのお宝の一つです。例年では多くの人で混雑すると聞きましたが、今年は(も)やはりこんなご時世だからでしょうか、規模縮小ということもあってか、聞いていた話ほど混雑しているようには思えませんでした。但しほんの2週間前にも円覚寺に訪れましたが、そのときに比べたら多くの人で賑わっていました。

宝物風入のお知らせ
円覚寺
円覚寺正続院

舎利殿のある円覚寺塔頭の正続院の門が開けられているのを初めて見ました。これだけでも感動します。舎利殿を少しでも拝めないものかといつもここからカメラをズームしていました。

舎利殿


円覚寺塔頭の正続院に入り奥へ進むとあるのが舎利殿。神々しいまでのその姿。これが禅宗様建築。そしてこれが青岳尼が住した太平寺の仏殿。

舎利殿
舎利殿
舎利殿

舎利殿の建築様式〈禅宗様〉


建物は中国大陸にあった宋国から伝えられた建築様式で禅宗様(唐様・宋様とも)と一般的には呼称されています。鎌倉では特に北条時頼の時代から、建長寺の大覚禅師や円覚寺の無学祖元などの渡来僧が目立ち始めます。建築様式もこのときに伝えられたものと思われます。

禅宗様とは、柱下に礎盤(そばん)を置くこと、組物が詰組(つめぐみ)であること、垂木(屋根を支える材木)を放射状に配する扇垂木(おうぎたるき)であること、虹梁(弓なりに曲がった梁)が用いられていること、木鼻(柱から飛び出している装飾部分)が取り付けられていること、窓は花頭窓(かとうまど)、扉は桟唐戸(さんからと)、欄間は弓欄間(波欄間)であることなどの特徴が挙げられます。

①礎盤 ②花頭窓 ③桟唐戸 ④弓欄間 ⑤詰組 ⑥扇垂木

これらの特徴は何もこの舎利殿だけにみられるものではなく、よ~く観察すれば、円覚寺をはじめ建長寺などの禅宗(臨済宗)寺院の現在の建物にもその特徴が引き継がれていることに気付くと思います。難しい専門用語で言われると困惑してしまいますが、普段から我々が鎌倉で目にしている建物の特徴でもあるんですね。

土間(床を張らない)

一方で普段から鎌倉禅宗寺院であまりにも慣れ親しんでいるため逆に気づかないのが土間であるという点です。日本の建物は玄関で一段高くなった畳の敷かれた居間に靴を脱いでお邪魔しますが、これは完全に日本型寺院建築です。

本来(大陸では)はこの舎利殿のように床を張りません。しかしこれはだからといって土足で入ってよい訳ではなく、円覚寺のお坊さんたちは内履き用のスリッパのような履物に替えて入室するそうです。円覚寺の仏殿や建長寺の仏殿・法堂などで改めて確認してみてください。

舎利殿に関するインタビュー


円覚寺のお坊さんが「なんでも質問を受けつけますよ」とおっしゃっていたので、助手のかまさぎ君が色々とそのお坊さんに質問してみました。

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かまさぎ君
これまでに火事や地震などで多くの建物が失われたと思いますが、よりにもよって何故この舎利殿だけが無事だったんですか、ちょっとおかしくないですか
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お坊さん
いえいえ、舎利殿も関東大震災のときに”ぺしゃんこ”に倒壊してしまいましたよ
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かまさぎ君
ええっっっっ!
そうだったんですか!
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かまさぎ君
ま、まぁ一度倒壊して組み直したとはいえ、木材は太平寺の仏殿のものですから、それだけでも凄い価値ですよね
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お坊さん
個人的にはそれもどうかと思いますよ、だってこの長い歴史の中で使えなくなった木材は替えているでしょうし、色々と手も加えられているではないでしょうか
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かまさぎ君
ええっっっ?(逆に気を使ってフォローしたのにそれを否定してくるとは・・)

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かまさぎ君
ところで舎利殿とは源実朝が所持していた仏舎利を保有しているから舎利殿と呼ばれていると聞きましたが、実際にここにあるんですか?
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お坊さん
ここにはありませんよ、セキュリティ上の問題があるので別の場所で保管しています
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かまさぎ君
ええっっ? そうなんですか、じゃぁ仏舎利がなくても舎利殿なんですね・・
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お坊さん
仏舎利は源実朝公が中国にある能仁寺というお寺から頂いたお釈迦さまのお骨と言われています。しかし私が能仁寺の者であればそのような貴重な物は渡しませんけどね
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かまさぎ君
そ、そうなんですか・・(す、凄いなこのお坊さん なんでも正直に言ってくれる)

円覚寺のお坊さんなのでなるべく舎利殿の価値を保つためにも余計なことは言わないのかと思いましたが、意外にも正直な見解をうかがうことができました。まとめると以下のようになります。

〇舎利殿は関東大震災で全倒壊している
〇舎利殿に使用されている木材が太平寺オリジナルのものかどうか定かではない
〇舎利殿には舎利殿なのに仏舎利が置かれていない
〇仏舎利がお釈迦さまの骨かどうかは定かではない

お寺って古く見せかけたり、凄い偉人とさも関係があるように装ったりしますが、そこはさすが臨済宗、圧倒的な歴史的ブランド力があるので、綻びを隠すようなことはしないんですね。

「う~ん・・確かにそんな古そうには思えなくなってきた・・」

室町時代の建物だという先入観のため疑うこともしませんでしたが、よくよく見ると確かに舎利殿の木材はそこまで古いものには見えなくなってきてしまいます。

但し、舎利殿が一度は倒壊して組み直されたものであれ、木材が太平寺の仏殿のものではなくなっていたとしても、舎利殿の価値はやはり禅宗様を伝える建築様式そのものであり、それをオリジナルととらえるかどうか、またはそれを室町時代の建築とするかどうかはその人次第といったところではないでしょうか。

舎利殿

舎利殿以外の宝物風入


舎利殿のある正続院の他には、方丈にて円覚寺のお宝の展覧会があります。会場では展示物とは別に法話・座禅会なども開かれています。

方丈
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この時期は年内最後の一大イベント(紅葉)のため木々が着々と準備を進めてくれています。

円覚寺
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