2016年11月7日月曜日

円覚寺塔頭まとめ


円覚寺境内には現在16の塔頭があると鎌倉市教育委員会の調査報告書に記されていました。がしかし、どう数えても17あります。鎌倉市教育委員会が間違っているのか、それとも下図に印した塔頭のうちどれかを塔頭として数えないのか、ちょっとこの辺りがよくわかりません。まぁでもそんな細かい数字の違いは置いといて、それよりも塔頭の歴史を調べることによって本寺である円覚寺の理解がさらに深まると思います。ということで今回は円覚寺境内にある主な塔頭にスポットを当ててみました。

円覚寺境内案内図
①雲頂庵 ②白雲庵 ③伝宗庵 ④富陽庵 ⑤桂昌庵 ⑥松嶺院 ⑦済蔭庵 ⑧龍隠庵 ⑨寿徳庵 ⑩正伝庵 ⑪正続院 ⑫仏日庵 ⑬黄梅院 ⑭如意庵 ⑮蔵六庵 ⑯帰源院 ⑰臥龍庵

山号寺号 仏日庵
建立   弘安年間(1278~1287)頃
拝観可否 ○拝観可(拝観料100円)


仏日庵(ぶつにちあん)は北条時宗の墓堂です。仏日庵にある開基廟にはその時宗、そして貞時高時の歴代北条氏が祀られています。『鎌倉市史 社寺編』によれば、往時には貞時の墳墓及び祠堂なる無畏堂があったこと、覚山志道尼及び高時の塔があったことなどが記されています。

仏日庵

開基廟には木造十一面観音菩薩坐像と、僧侶の姿をした時宗・貞時・高時の木造座像が祀られています。『新編相模風土記』によれば、開基廟の下に遺骨を納めた石櫃があると云われています。

仏日庵

山号寺号 万年山正続院
建立   弘安八年(1285)
開山   無学祖元
開基   北条貞時
拝観可否 △宝物風入りなど特別な期間に限り拝観可


正続院(しょうぞくいん)は円覚寺開山の無学祖元(むがくそげん)の塔所です。もとは北条貞時が弘安八年(1285)に仏舎利を納めるために建立した祥勝院がありました。仏舎利は源実朝が宋の能仁寺から分けてもらったものだと云われています。その後、夢窓疎石が建長寺にあった正続院を円覚寺に移し、無学祖元の塔頭とし、祥勝院をこれに当てはめました。現在の舎利殿は西御門にあった太平寺の仏殿を移築したものだと云われています。

正続院

山号寺号 伝衣山黄梅院
建立   文和三年(1354)
開山   夢窓疎石
拝観可否 ○拝観可


黄梅院(おうばいいん)は方外宏遠が文和三年(1354)に開創した夢窓疎石(むそうそせき)の塔所です。夢窓疎石を師と仰ぐ夢窓派たちの関東における一大拠点となりました。円覚寺境内の最奥に位置します。(→黄梅院の記事

黄梅院

山号寺号 龍隠庵
創建   応永二十六年(1419)頃
開山   大雅省音
拝観可否 ○拝観可


龍隠庵(りょういんあん)は、円覚寺137世の芳隠省菊(ほういんしょうぎく)により、円覚寺102世の大雅省音(たいがしょういん)の塔所として開創されました。高台にあるので円覚寺の伽藍を見下ろせます。また整備の行き届いた境内は拝観者の目を飽きさせません。円覚寺仏殿を正面にして左手奥に向かい居士林の奥に入口があります。(→龍隠庵の記事

龍隠庵

山号寺号 圓通山松嶺院
開山   大拙祖能
中興開山 淑悦禅懌
拝観可否 ○拝観可(拝観料100円)


松嶺院(しょうれいいん)は、天文四年(1535)に寂した円覚寺150世で仏源派の淑悦禅懌(しゅくえつぜんえき)の塔所です。円覚寺山門をくぐってすぐ左手に見える建物です。もともと不閑軒と称していましたが、松嶺院月窓妙円尼から寺領の寄進があったことから松嶺院と改称されました。松嶺院月窓妙円尼は足利高基(古河公方)の娘で、東慶寺18世の瑞山尼の姪にあたります。

松嶺門

松嶺院(不閑軒)があった以前は、この地には円覚寺40世で永和三年(1377)に寂した大拙祖能(だいせつそのう)の塔所青松庵があったと云われています。大拙祖能は康永三年(1344)に宋に渡ったエリート僧で、延文三年(1358)に帰国し、のちに足利義満の命によって円覚寺住持となっています。境内を”遍路みち”として歩くことができます。季節の草花が並べられています。

松嶺院 遍路みち

山号寺号 桂昌庵
開山   承先道欽
中興開山 淑悦禅懌
拝観可否 ○拝観可


桂昌庵(けいしょうあん)は、至徳二年(1385)に寂した円覚寺49世で仏光派の承先道欽(しょうせんどうきん)の塔所です。木造十王像が祀られているため十王堂、もしくは閻魔堂とも呼ばれています。円覚寺から山内道を少し下るとある十王堂橋の辺りにかつては十王像を祀るお堂がありました。桂昌庵にある十王像はそのお堂にあったものだと云われています。

桂昌庵

円覚寺の総門を入って行くと正面に円覚寺の壮大な山門、そして左手に桂昌庵が見えます。お堂前にあるモミジが季節毎に姿を変えてくれます。ちなみに十王像はお堂から拝観することができます。

桂昌庵

山号寺号 蔵六庵
建立   弘安六年(1283)
開山   大休正念
拝観可否 ×拝観不可


蔵六庵(ぞうろくあん)は円覚寺2世の大休正念(だいきゅうしょうねん)の塔所です。大休正念は文永六年(1269)に北条時宗に招かれて来日した宋からの渡来僧です。浄智寺大慶寺などの開山に迎えられ、その他建長寺寿福寺などでも住持を務めています。塔所はもともと弘安六年(1283)に大休正念が寿福寺に開いたものですが、建武二年(1335)に円覚寺境内に移されました。

蔵六庵

山号寺号 伝宗庵
建立   文保元年(1317)頃
開山   南山士雲
拝観可否 ×拝観不可


伝宗庵(でんしゅうあん)は円覚寺11世の南山士雲(なんざんしうん)の塔所です。南山士雲は北条貞時の招きにより徳治二年(1307)に京の東福寺からやってきました。崇寿寺(廃寺)や泥牛庵の開山に迎えられた他、建長寺でも住持を務めています。南山和尚自らがデザインした土紋装飾を特徴とする木造地蔵菩薩坐像が伝宗庵に伝わっているそうです。

伝宗庵

山号寺号 正伝庵
建立   貞和四年(1348)
開山   明巌正因
拝観可否 ×拝観不可


正伝庵(しょうでんあん)は円覚寺24世で大通派の明巌正因(みょうがんしょういん)の塔所です。塔所は貞和四年(1348)に万寿寺(廃寺)にて開創されましたが、のち文和三年(1354)に円覚寺に移されました。鎌倉遺構探索の『長楽寺跡』によれば、万寿寺は「弘安九年(1286)に執権貞時が父である時宗のために創建した禅宗寺院」とありました。たぶん明巌正因の塔所があったという万寿寺と同一と思われます。ですから万寿寺は現在でいう鎌倉文学館の近くにあったようです。

正伝庵 奥に横穴が見える・・

その他 開基が有名人の寺院


円覚寺塔頭には、鎌倉の歴史を学んでいれば、少なくともどこかで聞いたことのある歴史上の人物が開基もしくは中興開基としてその名が現れる寺院がいくつかあります。例えば、寿徳庵の中興開基は最後の相模三浦一族で知られる三浦道寸義同帰源院の中興開基はなんと後北条氏の北条氏康、そして如意庵の開基は山内上杉家の祖と伝わる上杉憲顕です。さらに正続院と同じく白雲庵にも執権の貞時が開基に名を連ねています。

三浦道寸義同の墓があると云う寿徳庵

その他、有名人というほどではありませんが、続燈庵の開基は駿河今川氏の祖である今川範国富陽庵の開基に足利尊氏の孫にあたる上杉朝宗長勝寺の開山塔だった雲頂庵を再興した長尾忠景などがいます。長尾氏といえば、鎌倉期では外れクジばかり引いていた感のある一族ですが、南北朝期では永享の乱などで上杉氏をサポートとして大活躍しています。

北条氏康が中興の帰源院墓地からの眺め 山内道を見下ろせる



カテゴリー 探索記事(エリア別 北鎌倉
記事作成  2016年11月7日

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