〈円覚寺〉塔頭
この記事では、円覚寺境内にある塔頭全てをまとめてみました。塔頭の歴史を調べることにより本寺である円覚寺の理解がさらに深まると思います。
基本情報
名称 :円覚寺住所 :神奈川県鎌倉市山ノ内409
駐車場 :なし
拝観時間:8時~16時30分(冬季は16時まで)
拝観料 :大人500円・子供200円
目次
●佛日庵 ●正続院 ●黄梅院 ●龍隠庵 ●松嶺院 ●桂昌庵 ●済蔭庵 ●如意庵 ●帰源院 ●寿徳庵 ●雲頂庵 ●続燈庵 ●白雲庵 ●富陽庵 ●伝宗庵 ●正伝庵 ●蔵六庵 ●臥龍庵佛日庵
本尊 :地蔵菩薩
拝観可否 :○拝観可(拝観料100円)
佛日庵(ぶつにちあん)は北条時宗の墓堂です。佛日庵にある開基廟にはその時宗、そして貞時・高時の歴代北条氏が祀られています。『鎌倉市史 社寺編』によれば、往時には貞時の墳墓及び祠堂なる無畏堂があったこと、覚山志道尼及び高時の塔があったことなどが記されています。
初夏の佛日庵 |
開基廟には木造十一面観音菩薩坐像と、僧侶の姿をした時宗・貞時・高時の木造座像が祀られています。『新編相模風土記』によれば、開基廟の下に遺骨を納めた石櫃があると云われています。
初夏の佛日庵 |
正続院
建立 :弘安八年(1285)
開山 :無学祖元
開基 :北条貞時
本尊 :地蔵菩薩
拝観可否 :△宝物風入りなど特別な期間に限り拝観可
正続院(しょうぞくいん)は円覚寺開山の無学祖元(むがくそげん)の塔所です。もとは北条貞時が弘安八年(1285)に仏舎利を納めるために建立した祥勝院がありました。仏舎利は源実朝が宋の能仁寺から分けてもらったものだと云われています。
その後、夢窓疎石が建長寺にあった正続院を円覚寺に移し、無学祖元の塔頭とし、祥勝院をこれに当てはめました。現在の舎利殿は西御門にあった太平寺の仏殿を移築したものです。
雪の正続院 |
黄梅院
建立 :文和三年(1354)
開山 :夢窓疎石
本尊 :千手観音菩薩
拝観可否 :○拝観可
黄梅院(おうばいいん)は方外宏遠が文和三年(1354)に開創した夢窓疎石(むそうそせき)の塔所です。夢窓疎石を師と仰ぐ夢窓派たちの関東における一大拠点となりました。円覚寺境内の最奥に位置します。
紅葉期の黄梅院 |
龍隠庵
建立 :応永二十六年(1419)頃
開山 :大雅省音
本尊 :聖観世音菩薩
拝観可否 :○拝観可
龍隠庵(りょういんあん)は、円覚寺137世の芳隠省菊(ほういんしょうぎく)により、円覚寺102世の大雅省音(たいがしょういん)の塔所として開創されました。高台にあるので円覚寺の伽藍を見下ろせます。また整備の行き届いた境内は拝観者の目を飽きさせません。円覚寺仏殿を正面にして左手奥に向かい居士林の奥に入口があります。
春の龍隠庵 |
松嶺院
開山 :大拙祖能
中興開山 :淑悦禅懌
本尊 :釈迦牟尼仏
拝観可否 :○拝観可(拝観料100円)
松嶺院(しょうれいいん)は、天文四年(1535)に寂した円覚寺150世で仏源派の淑悦禅懌(しゅくえつぜんえき)の塔所です。円覚寺山門をくぐってすぐ左手に見える建物です。もともと不閑軒と称していましたが、松嶺院月窓妙円尼から寺領の寄進があったことから松嶺院と改称されました。松嶺院月窓妙円尼は足利高基(古河公方)の娘で、東慶寺18世の瑞山尼の姪にあたります。季節の草花が咲く境内を”遍路みち”として歩くことができます。
初夏の松嶺院 |
桂昌庵
開山 :承先道欽
中興開山 :淑悦禅懌
本尊 :木造十王坐像
拝観可否 :○拝観可
桂昌庵(けいしょうあん)は、至徳二年(1385)に寂した円覚寺49世で仏光派の承先道欽(しょうせんどうきん)の塔所です。木造十王像が祀られているため十王堂、もしくは閻魔堂とも呼ばれています。円覚寺から山内道を少し下るとある十王堂橋の辺りにかつては十王像を祀るお堂がありました。桂昌庵にある十王像はそのお堂にあったものだと云われています。円覚寺の総門を入って行くと正面に円覚寺の壮大な山門があります。その左手に桂昌庵が所在しています。
桂昌庵 |
済蔭庵
本尊 :不動明王
拝観可否 :△座禅会などの参加者のみ
済蔭庵(さいいんあん)は、夢想礎石の門弟で円覚寺56世の曇芳周応(どんぼうしゅうおう)の塔所です。現在は禅道場の居士林となり座禅会が定期的に開かれています。
紅葉期の済蔭庵 |
如意庵
開山 :無礙妙謙
開基 :上杉憲顕
本尊 :宝冠釈迦如来
拝観可否 :×拝観不可
如意庵(にょいあん)は円覚寺36世の無礙妙謙(むげみょうけん)の塔所です。伊豆の天長山国清寺を前身とします。堂の天井には見る位置によって光り方を変える守龍が描かれているそうです。見てみたいですね。
妙香池周りで正続院の対面にある階段を登ると如意庵があります。一般拝観を受けつけていませんが、山門から覗く玄関の佇まいは、円覚寺拝観者を意識してくれているのだと思います。
如意庵 |
如意庵の玄関 |
帰源院
本尊 :傑翁是栄像
拝観可否 :×拝観不可
帰源院(きげんいん)は、大慶寺や浄智寺などでも住持を務めた円覚寺38世の傑翁是栄(けつおうぜえい)の塔所です。中興開祖は奇文禅才、そして中興開基がなんと、北条氏康とのこと。境内には夏目漱石の句碑が建てられています。帰源院付近から北鎌倉駅周辺を望めます。
帰源院 |
帰源院付近からの景色 山内道を見下ろせる |
寿徳庵
中興開基 :三浦道寸義同
本尊 :聖観世音菩薩
拝観可否 :×拝観不可
寿徳庵(じゅとくあん)は円覚寺66世の月潭中円(げったんちゅうえい)の塔所です。月潭中円は義堂周信の法嗣で瑞泉寺にも住していました。墓地には中興開基で最後の相模三浦一族の三浦同寸義同の墓があります。
寿徳庵 |
雲頂庵
開山 :空山円印
中興開山 :長尾忠景
本尊 :宝冠釈迦如来
拝観可否 :×拝観不可
雲頂庵(うんちょうあん)は、長勝寺の開山塔でその開山を務めた空山円印(くうさんえんいん)の塔所です。雲頂庵は長勝寺と共に永享の乱(1438~1439年)の頃に廃されましたが、長尾忠景によって再興されました。
長勝寺が廃されたのち、この地は長尾景仲の屋敷地となっていましたが、その景仲の子の忠景がここに寺を建て、雲頂庵を再興させたといわれています。文献によっては忠景の孫の景春が雲頂庵を再興したという資料もみられます。どちらにしろ忠景が寺地を宛がった再興主であることには変わりないようです。
雲頂庵 |
続燈庵
開山 :大喜法忻
開基 :今川範国
本尊 :観音菩薩
拝観可否 :×拝観不可
続燈庵(ぞくとうあん)は浄妙寺などでも住持を務めた円覚寺30世の大喜法忻(だいきほうきん)の開創で、開基が今川氏初代の今川範国です。足利尊氏が仏満禅師(大喜法忻)のために創建したとも伝えられています。本尊の木造観音菩薩坐像はもとは東慶寺にあったものです。また夢窓疎石の銘が入った銅造仏応禅師骨壺が残されています。
続燈庵 |
白雲庵
開山 :東明慧日
開基 :北条貞時
本尊 :宝冠釈迦如来
拝観可否 :×拝観不可
白雲庵(はくうんあん)は円覚寺10世の東明慧日(とうみんえんにち)の塔所です。鎌倉期の創建で尚且つ北条貞時が開基です。東明慧日は渡来僧で曹洞宗の禅僧でしたが、白雲庵は室町期頃に臨済宗寺院となりました。
白雲庵 |
富陽庵
開基 :上杉朝宗
本尊 :文珠菩薩
拝観可否 :×拝観不可
富陽庵(ふようあん)は円覚寺61世の東岳文昱(とうがくぶんいく)の塔所です。仏地禅師(東岳文昱)は寿福寺・建長寺で住持を務めたのち円覚寺に入りました。そして開基が足利尊氏の孫にあたる上杉朝宗です。
富陽庵 |
伝宗庵
開山 :南山士雲
本尊 :地蔵菩薩
拝観可否 :×拝観不可
伝宗庵(でんしゅうあん)は円覚寺11世の南山士雲(なんざんしうん)の塔所です。南山士雲は北条貞時の招きにより徳治二年(1307)に京の東福寺からやってきました。崇寿寺(廃寺)や泥牛庵の開山に迎えられた他、建長寺でも住持を務めています。南山和尚自らがデザインした土紋装飾を特徴とする木造地蔵菩薩坐像が伝宗庵に伝わっているそうです。
伝宗庵 |
正伝庵
開山 :明巌正因
本尊 :宝冠釈迦
拝観可否 :×拝観不可
正伝庵(しょうでんあん)は円覚寺24世の明巌正因(みょうがんしょういん)の塔所です。塔所は貞和四年(1348)に万寿寺(廃寺)にて開創されましたが、のち文和三年(1354)に円覚寺に移されました。
万寿寺は「弘安九年(1286)に執権貞時が父である時宗のために創建した禅宗寺院」とあるので、明巌正因の塔所があったという万寿寺と同一と思われます。ですから万寿寺は現在でいう鎌倉文学館の近くにあったようです。
正伝庵 |
蔵六庵
開山 :大休正念
本尊 :釈迦如来
拝観可否 :×拝観不可
蔵六庵(ぞうろくあん)は円覚寺2世の大休正念(だいきゅうしょうねん)の塔所です。大休正念は文永六年(1269)に北条時宗に招かれて来日した宋からの渡来僧です。浄智寺・大慶寺などの開山に迎えられ、その他建長寺・寿福寺などでも住持を務めています。塔所はもともと弘安六年(1283)に大休正念が寿福寺に開いたものですが、建武二年(1335)に円覚寺境内に移されました。
臥龍庵
本尊 :大川道通像
拝観可否 :×拝観不可
臥龍庵(がりょうあん)は暦応元年(1338)頃に示寂した円覚寺17世の大川道通(だいせんどうつう)の塔所です。
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