2015年5月27日水曜日

無量光院跡


無量光院は、奥州藤原氏三代の秀衡が、宇治平等院の鳳凰堂を模して建立しました。建物の中心線は西の金鶏山と結ばれており、その稜線上に沈む夕日に極楽浄土をイメージした浄土庭園の最高傑作と云われています。無量光院を建立した秀衡の平泉館(柳之御所)と加羅御所がすぐ近くに所在しています。

平泉
①中尊寺 ②金鶏山 ③毛越寺 ④観自在王院跡 ⑤白山社跡 ⑥無量光院跡 ⑦柳之御所 ⑧高館

無量光院


三方が土塁に囲まれた境内には、梵字ヶ池と呼ばれる池跡があり、その中に本堂跡の礎石が残る西島跡と東中島跡があります。『吾妻鏡』に「宇治の平等院を模す」と記されています。実際にも発掘調査によって、本堂の形などが平等院鳳凰堂に似ていることが確認されたそうです。

無量光院跡案内図
①東島 ②中島(本堂跡) ③北小島

永福寺は、中尊寺にあった大長寿院を真似たとありましたが、こちら無量光院の復元図もどこか永福寺の復元図と似ている気がします。

CGで再現された往時の無量光院

無量光院跡


無量光院跡は、平泉の駅裏側から義経の邸跡と伝わる高館方面に向かう途中にあります。一見してただの池があるように見えるだけですが、よ~く観察すると、土塁・堀・島跡などの地形が浮かび上がってきます。

無量光院跡

敷地を奥に入って行くと西島跡と本堂があったと云われる東中島跡に行くことができます。往時では池となっている部分を歩くことになります。

地形が浮き上がっている部分がわかるでしょうか

本堂があった東中島跡では、礎石なのか庭石のようなものなのかわかりませんが、とにかく大きめな石がいくつも確認できます。また地形が微妙に起伏しています。もの凄い遺跡感に感激しました。しかしここから鳳凰堂を模した立派な建物がここにあったと想像するにはちょっと難しいかもしれません。

東中島付近

土塁


土塁に囲まれているとありましたが、東中島より奥にとても盛り上がった地形がみられます。たぶんこれが案内板にあった土塁なんだと思われますが、んんっ~何か本当に凄い盛り上がってます。

土塁?
土塁状地形遠景

一方で反対側、敷地南側にある地形の盛り上がりは土塁そのものです。どこでも見られる風景ですが、これが往時からの造作だとわかると感激します。

敷地南側にある土塁

底部が田んぼのあぜ道のような地形で細かく区切られています。よく発掘調査の画像で見るような光景だったので、当時の地面が露出しているのかと興奮したのも束の間。そもそも水田として近年まで活用されていたそうです・・。


仮想極楽浄土


無量光院は、極楽浄土の様子をこの世に再現するように設計されています。上記したように、本堂は浄土の池に浮かぶように中島に建てられ、背後の金鶏山に夕日が沈み、また、周囲の自然景観を取り入れることにより、浄土と現世との一体感を醸し出しています。ちなみに4月中旬と8月末頃にこの光景を見ることができます。

本堂と金鶏山の背後に夕日が沈む仮想極楽浄土



カテゴリー 平泉遺構探索
記事作成  2015年5月27日

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