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【帝産大仁金山】大仁鉱山と山神社

2023/03/16

伊豆市 鉱山

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【帝産大仁金山】大仁鉱山と山神社


伊豆市瓜生野にある大仁鉱山(帝産大仁金山)で、廃墟と化した、というか廃墟を通り越した選鉱場跡地とその裏山を探検してきました。
大仁鉱山と山神社
西伊豆の土肥にある天正金鉱の壁面にあった金鉱石の美しさが忘れられず、ここでも金鉱石を手に入れることができないかと思いやって来ました。

龕附天正金鉱

龕附天正金鉱

龕附天正金鉱は、後北条氏時代の天正五年(1577)に掘り進められた坑道跡です。土肥金山での説明では、後北条氏家臣の富永三郎左右衛門政家の配下で市川喜三郎がここ土肥周辺の金山を開発していたとありました。一方で既に武田金堀衆が天正金鉱の原型を開発していたと...

アクセス


大仁鉱山は、城山と同じく伊豆なのに駅から歩いて行ける史跡です。この日は品川から三島まで新幹線、三島から大仁駅まで駿豆線で向かいました。乗車時間だけなら78分なので乗り継ぎのタイミングが良ければ大よそ90分、大めにみても首都圏から大仁駅まで2時間ちょっと。そして大仁駅から大仁鉱山へは大よそ1km、歩いて15分くらいです。


大仁鉱山の歴史

水晶山から眺めた大仁鉱山遠景
大仁鉱山の金鉱脈は天正年間に発見され、徳川幕府の金山奉行でおなじみの大久保長安によって、慶長年間に開発されました。その後、山は閉じられていましたが、1933年に帝國産金興業株式会社によって操業が再開され、1973年の閉山まで稼働していました。鉱床は熱水鉱床、主要鉱物は自然金、その他にも石英・黄鉄鉱・閃亜鉛鉱などが産出されていました。

概要

Google map 大仁鉱山
①選鉱場跡 ②裏山 ③山神社・抗口
大仁鉱山の様子を分かりやすく伝えるため、3つのゾーンに分けてみました。①選鉱場跡、②裏山、そして③山神社や抗口のある小谷戸です。実際にもそれぞれ雰囲気が異なります。

大仁鉱山

百笑の湯
大仁鉱山は、鉱山跡というより隣接する百笑の湯という大型SPAの敷地内の遺物といった感じです。1935年に温泉が湧出したことで、公衆浴場が併設され、さらには観光客向けのヘルスセンター・帝産閣が建設されました。ですから百笑の湯はその跡地を引き継いだものだと思われます。

大仁鉱山選鉱場跡
廃墟というより、もう基礎部分しかありませんが、とりあえず裏山から探検することに。

大仁鉱山裏山

裏山の地形
放置された遺物
裏山の地形
裏山の地形
削平された尾根
まさかの廃神社
神社参道跡らしき地形
百笑の湯の駐車場
石切り場跡の様相
まさかのボイラー室
散乱する器具
自噴した水たまり?
とりあえず選鉱場跡の奥にあるお墓から裏山に登れる踏み跡があったので進んでみると、いかにも人の手が加えられたのであろう壮大な掘割状をした地形が現れました。倒木の感じがそう見えるのかもしれませんが、レールでも敷かれていたような段差、もしくは石切り場跡でみられるような段差に似ています。

尾根道はありませんが絶妙になんとか進める地形だったので登りつめると、真っ平に削平された尾根が現れ、さらにその尾根を進むとビックリ、まさかの神社跡。鉱山関係者の山神社でしょうか。また周辺には岩石の削り具合からして、下から登ってこれる参道があったようです(道は途中で喪失している)。

参道跡から下りて行ける地形が見つからないので西側に移動すると、今度は掘っ立て小屋に遭遇。古奈温泉で見た公衆浴場跡にあった機材とそっくりなものが落ちていたので、ここも温泉地だけに旧ボイラー室かと思われます。

選鉱場跡

今度は選鉱場跡の探検。上画像の水晶山から眺めた画像にあるように、6層もしくは7層から成る平場がひな壇状になっています。下から登って行こうと思います。
選鉱場跡平場
抗口かと思ったら行き止り
選鉱場跡の残骸
選鉱場跡の残骸
選鉱場跡の残骸
選鉱場跡の残骸
「伊豆温泉村」の看板
選鉱場跡から眺めた図
選鉱場跡の残骸
選鉱場跡の残骸
選鉱場跡の残骸
下からコンクリートの壁をよじ登って行くと「伊豆温泉村」の看板位置辺りまで進むことができました。選鉱場の様々な機材の残骸が残されていましたが、鉱山の知識が無いためどういう用途で使用するものなのかは全くわかりません。このとき抗口がどこにあるのかわからなかったため、必死に探していましたが、後述するように、この山の麓の谷にあります。
選鉱場跡から眺めた城山
苦労した割にはこれといった発見はありませんでしたが、ここから眺めた城山は、もしかしたら大仁でベスポジかもしれません。狩野川と一緒に写せるんですよ。

山神社と抗口

選鉱場跡の上階から山神社と抗口のある小谷戸に下りることが出来たので行ってみました。そこにあったのは全てが「廃」の世界。
抗口
抗口
抗口
抗口
この谷で発見できた抗口は4つ。隙あらば潜入したいと考えていたので残念ですが全て塞がれています。手掘りの抗口がもしかしたら大久保長安の時代に稼働していた坑道なのかもしれません。そしてさらに谷を奥に行くとありました、山神社。
山神社
山神社
山神社
廃神社と聞いていましたが、鳥居をくぐった瞬間、空気が一変しました。まだいらっしゃるんじゃないでしょうか・・。
山神社

まとめ あとがき

ということで、大仁鉱山を堪能しましたが、一つ言えることはこちら、

鉱山の知識がないとあまり面白くない!

何事もそうですが、史跡・遺跡も知識があってこそ、その価値がわかるというものなので、やはりある程度の勉強は必要かもしれないと思いました。

水晶山にあった「大仁の歴史」によれば、明治32年に伊豆箱根鉄道が開通し、大正13年に修善寺駅ができるまでの25年間、大仁駅が終着点だったそうです。当時は娯楽施設「大仁座」などがあり街が賑わっていたとのこと。微かに残る大仁鉱山の遺物から、そんな近代日本の、大仁の、未だ人口が東京に一極集中する以前の、村に子供や若い女性がたくさんいた頃の、古き良き時代の様子が画として頭に浮かんでくるようでした。
大仁の歴史

本日のおみやげ

金山だけに金鉱石が手に入らないものかと淡い期待をしていましたが、やっぱりそんなもの落ちている訳ありません。また他にも何かキレイな鉱石でもないかと選鉱場跡裏山で意識してみましたが、特別目を惹く石は見つかりませんでした。但し、何かを含んでいるのであろう石をいくつか見つけました。
裏山で見かけた石
大仁鉱山から持ち帰った石
「特別目を惹く訳じゃないし、特別キレイな訳じゃないし」と言いながらも記念に持ち帰った石があります。上記したように大仁鉱山の鉱床は熱水鉱床、主要鉱物は自然金、その他にも石英・黄鉄鉱・閃亜鉛鉱などが産出されるとあったので、石英でしょうかね、コレ。

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