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八重姫と真珠院

2014/06/01

伊豆の国市 八重姫

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八重姫と真珠院


伊豆の国市にある真珠院では、源頼朝が北条政子より前に出会っていた女性を弔っています。一体どんなストーリがあるのでしょう。

八重姫と真珠院

真珠院

山号寺号 :守護山真珠院
建立   :鎌倉時代
開山   :実山永秀
宗旨   :曹洞宗

住所 :静岡県伊豆の国市中條2


八重姫と源頼朝


安元元年(1175)源頼朝が29歳の頃だと云われています。頼朝は伊東祐親の娘の八重姫の許に通い、千鶴という男子をもうけていました。伊東祐親の上京中の出来事です。

帰国してこの事実を知った祐親は激怒し、三歳になる千鶴を松川の奥の淵に沈め、八重姫を江間次郎に嫁がせてしまいます。そのうえ頼朝には夜討ちを仕掛け殺害をはかりますが、祐親の子の祐清の機転により、頼朝は辛うじて伊東の地を脱出することができました。

その後、頼朝は北条政子と結婚し、北条時政の婿として北条氏邸に居を構えていました。治承四年(1180)八重姫は待女6人と共に伊東竹の内の別館を抜け出し、頼朝がいる北条氏邸を訪ねましたが、頼朝との面会は叶わず、悲嘆に暮れ真珠ヶ淵で入水し自害したと伝えられています。

真珠院にはその八重姫を祀る八重姫御堂が建てられています。

狩野川

八重姫御堂


真珠院の山門をくぐってすぐ右手にその八重姫御堂があります。静堂とも呼ばれています。御堂には小さい梯子が置かれていましたが、これは八重姫が入水した時、せめて梯子があったら救うことが出来たのにという里人達の願いに由縁するそうです。願い事が成就した時そのお礼参りとして梯子を供える習慣として残されています。

八重姫御堂
梯子供養

真珠院


韮山の西側で守山と呼ばれる丘陵部の一画に真珠院は所在しています。丘陵部北側は御所ノ内と呼ばれ、北条氏に関連する史跡が集中しています。真珠院は元々は真言宗で、室町期に曹洞宗に改宗しています。古来より修行道場として祇樹林の別称があるとのことです。

国土地理院の地理院地図
①成福寺 ②堀越公方御所跡 ③光照寺 ④北条氏邸・円成寺跡 ⑤守山八幡宮 ⑥願成就院 ⑦信光寺 ⑧真珠院

真珠院境内には上述した八重姫御堂の他、本堂、そして後述するように興味深い遺跡・遺物・遺構が残されています。

真珠院

真珠院遺跡


真珠院には県下最古の正安四年(1302)の銘がある五輪塔が安置されている他、建武二年(1335)の宝篋印塔などがあります。五輪塔は通称を定仙大和和尚塔と云うそうです。塔身に浮彫が施されています。鎌倉ではなかなか見ないタイプのものです。

定仙大和和尚塔
中世の石塔群

真珠院跡


境内の隣が近現代の墓地となっていますが、これまた興味の惹かれる地形をしています。いかにも何かがあったような名残りが地形にみられます。ここがもともと真珠院のあった場所なんだそうです。

真珠院跡

丘陵壁面の高い所に何かがありそうなので、近づいて行くと、磨崖仏がありました。境内の案内板にあった「正平十八年/貞治二年(1363)阿弥陀如来磨崖仏」のことだと思われます。下の画像だと分かりづらいからもしれませんが、実際に見た限り、確かに何かを祀っているのだということぐらいは伝わってきます。

丘陵壁面にある摩崖仏
摩崖仏

伊東親子のその後


八重姫の父の伊東祐親は、吾妻鏡によれば、寿永元年(1182)に捕らわれの身として三浦義澄に預けられていました。このとき御台所政子が懐妊したこともあって、頼朝から恩赦を与えられましたが、その言葉を聞き自害して命を絶っています。

一方で頼朝を助けた子の祐清も、頼朝から「おまえには功労がある。特に賞されるであろう。」と言葉をかけられていたにも関わらず、「早くお暇をいただきたい」とあくまで頼朝に従うつもりはなかったようです。

『吾妻鏡』寿永元年二月十五日条に誅殺されたとありますが、建久四年六月一日条によれば、祐清は平家軍に加わり北陸道の合戦で討死にしたとあります。

真珠院前を流れる狩野川

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