古奈と湯谷神社
伊豆の国市の古奈という温泉街にある湯谷神社と長温寺に訪れてみました。よくよく調べてみると、四代目の鎌倉殿となる将軍頼経が古奈に行きたいと言っていたことが吾妻鏡に記されていることがわかりました。
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古奈と湯谷神社 |
湯谷神社
社号 :湯谷神社
祭神 :大己貴命・少名比古那命
相殿 :住吉神社
住所 :静岡県伊豆の国市古奈1
駐車場 :なし
吾妻鏡にも記されている古奈の古い歴史
伊豆長岡にある源氏山の大よそ東側を古奈といいます。源泉は古来より豆州古奈湯と呼ばれ伊豆国では伊豆山の走り湯・修善寺の独鈷の湯と共に三名湯の一つとして特にその薬効をうたわれているとあったので、その歴史は鎌倉時代より古いようです。
そして、なんと、吾妻鏡に古奈が載っている箇所を見つけました。嘉禎二年(1236)4月8日条によれば、将軍頼経が古奈に行きたいと言っているのに、陰陽師などに遠出は控えるべきと、念願の伊豆旅行を中止させられている可哀そうな一幕が記されています。
凄いですね古奈の温泉地、この頃から有名だったんでしょうか。また、古奈は源頼政の妻のあやめ御前の故郷です。
西琳寺に彼女の供養塔があります。
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湯谷山からの景色 |
湯谷神社という温泉街らしい神社に思わず足を止めて立ち寄ってみました。・・と言ってはじまるとオシャレなブログみたいで素敵ですが、本当は遠目から見えた石切り場の様相に惹かれました。辺りは石切りによって切り出された壁面が未だに残されています。
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湯谷神社入口にある石切り場跡 |
湯谷神社
湯谷神社の由縁によれば、創建時期は不明であるものの、旧称を二社権現といいその歴史はきわめて古いとありました。祭神の大己貴命は大国主命の別名で、神仏習合の時代となってからは大黒様として親しまれている神様です。また、大己貴命は温泉を医薬に用いることを初めて人々に教えられた神として崇められ、全国の古い温泉地では概ね祭神として祀られています。
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湯谷神社 |
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湯谷神社 |
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湯谷神社 |
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湯谷神社 |
境内は鎌倉寺社のように平場が段々に造成されています。奥には昔の名残りでしょうか、石祠などの石塔類が置かれていました。
共同風呂跡地
下画像の旧ポンプは昭和初期まで源泉を掘削して揚湯(地下から温泉を汲み上げる)していたものです。この辺りは共同風呂の跡地だったそうです。温泉は大正時代の末頃まで続いていましたが、各所に新源泉が掘削されたため止まってしまいました。また、昭和30年頃まで薬湯が出ていたとのことです。
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湯谷神社の旧ポンプ |
石切り場跡
石切り場跡が境内に隣接しています。ものすごい大きな穴が地下に向かって掘られています。この辺りにあったという共同風呂とはこれら石切りに従事した職人さん達のためでしょうか。
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石切り場跡 |
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石切り場跡 |
それにしてもこの魅力的な石切り場跡、
神武寺の石切り場跡を思い出します。中に入ってみたい衝動に駆られましたが、それを阻む造作があったこと、そして何よりも底面が見えないという状態だったので、ちょっと遠慮しました。
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石切り場跡 車まで棄てられている |
長温寺
湯谷神社に隣接する長温寺の縁起が見つかりませんでしたが、湯谷山薬王林長温寺という名称からも、古奈温泉と少なからず関係があるのだと思います。
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長温寺 |
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長温寺 |
階段を登った先にある境内にはお地蔵さまが多く置かれていました。そして首のない石像仏がここにもありました。鎌倉ではギャンブルをするうえで縁起を担ぐために首を落したといわれていますが、伊豆でもそんな人たちがいたのでしょうか。それともこれは全国的な事例なんでしょうか。
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長温寺のお地蔵さま |
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首のない石像仏 |
さらに半僧房と刻まれた石板があったので、その上に続く階段を登ってみることにしました。たぶん半僧房というのは建長寺だけのものじゃないんでしょうね。
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半僧房への階段 |
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長温寺からの景色 |
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半僧房? |
ということで将軍頼経も来たかった古奈でした。頼経の気持ちはわかります。古奈の町の雰囲気とか空気感とか凄い癒されます。しばらく東京に戻りたくなくなります。
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長温寺のお地蔵さま |
伊豆の国市の史跡
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