2014年6月12日木曜日

古奈と湯谷神社


社号  湯谷神社
祭神  大己貴命 少名比古那命
相殿  住吉神社



吾妻鏡にも記されている古奈の古い歴史


伊豆長岡にある源氏山の大よそ東側を古奈と云います。源泉は古来より豆州古奈湯と呼ばれ伊豆国では伊豆山の走り湯・修善寺の独鈷の湯と共に三名湯の一つとして特にその薬効をうたわれているとあったので、その歴史は鎌倉時代より古いようです。そして、なんと、見つけました。吾妻鏡に古奈が載っている箇所を。嘉禎二年(1236)四月の記事によれば、将軍頼経が古奈に行きたいと言っているのに、陰陽師などに遠出は控えるべきと、念願の伊豆旅行を中止させられている可哀そうな一幕が記されています。凄いですね古奈の温泉地、この頃から有名だったんでしょうか。また、古奈は源頼政の妻のあやめ御前の故郷です。西琳寺に彼女の供養塔があります。

湯谷山からの眺めた古奈

湯谷神社という温泉街らしい神社に思わず足を止めて立ち寄ってみました。・・と言ってはじまるとオシャレなブログみたいで素敵ですが、本当は遠目から見えた石切り場の様相に惹かれました。辺りは石切りによってごっつく切り出された壁面が未だに残されています。

湯谷神社入口付近

湯谷神社縁起


湯谷神社の由縁によれば、 旧称を二社権現と云いその歴史はきわめて古く、創建時期は未だわかっていないとのことです。祭神の大己貴命は大国主命の別名で、神仏習合の時代となってからは大黒様として親しまれている神様です。また、大己貴命は温泉を医薬に用いることを初めて人々に教えられた神として崇められ、全国の古い温泉地では概ね祭神として祀られています。


境内は神社らしく平場が段々に造成されています。奥には昔の名残りでしょうか、石祠などの石塔類が置かれていました。


共同風呂跡地


下画像の旧ポンプは昭和初期まで源泉を掘削して揚湯(地下から温泉を汲み上げる)していたものです。この辺りは共同風呂の跡地だったそうです。温泉は大正時代の末頃まで続いていましたが、各所に新源泉が掘削されたため止まってしまいました。また、昭和30年頃まで薬湯が出ていたとのことです。

旧ポンプ なんか寂しそう

石切り場跡


石切り場跡が境内に隣接しています。ものすごい大きな穴が地下に向かって掘られています。この辺りにあったと云う共同風呂とはこれら石切りに従事した職人さん達のためでしょうか。

石切り場跡

それにしてもこの魅力的な石切り場跡、神武寺の石切り場跡を思い出します。中に入ってみたい衝動に駆られましたが、それを阻む造作があったこと、そして何よりも底面が見えないという状態だったので、ちょっと遠慮しました。

色々と落ちてましたが車まで棄てられていました

長温寺


湯谷神社に隣接する長温寺の縁起はまったくもって不明ですが、湯谷山薬王林長温寺という名称からも、古奈温泉と少なからず関係があるものと思われます。

長温寺入口

階段を登った先にある境内は狭く、石像類などが特に多く置かれていました。石像は古いものではありません。ただひとつ、鎌倉名物の首のない石像がここにもありました。伊豆にもギャンブルにはまって縁起を担いだ不届者がいたのでしょうか。

本堂
首のない石像があった 鎌倉みたい

さらに半僧房と刻まれた石板があったので、その上に続く階段を登ってみることに。すると景色が開けて素敵でした。また丘陵頂部には謎の建物があります。これが半僧房でしょうか。建長寺の半僧房も裏山頂部にありましたね。

山腹にある境内からさらに登って行く
湯谷山から眺めた景色 
丘陵頂部にあった謎の建物 半僧房?

それにしても将軍頼経はどうして古奈に来たかったのでしょう。北条氏からこの辺りの様子を聞いていたのでしょうか。頼経はその後将軍職を廃され京に送還されます。何はともあれ、修善寺に幽閉されなかっただけ良かったです。



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探索期間 2014年5月
記事作成 2014年6月12日

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