2014年6月7日土曜日

国清寺


山号寺号 天長山国清萬年禅寺
建立   暦応年間(1338~1342)~康安二年(1362)
開山   佛真禅師
開基   畠山国清
中興   上杉憲顕


伊豆の韮山に隣接する奈古谷という地域に国清寺は所在します。お寺の縁起からも畠山国清や上杉憲顕がここを伊豆の拠点としていたようなので、南北朝期ではとても栄えていた地域なのかもしれません。規模は大きくありませんが、奈古谷は長岡とはまた別に温泉街となっています。また、鎌倉の佐助ヶ谷にも同名のお寺がありました。こちらも山内上杉氏に関連するものなので、伊豆と鎌倉の両社には関係があったと考えられています。

Google map 伊豆

往時の国清寺


国清寺は県道136号線から奥に入った丘陵部寄りに所在しています。この辺り一帯に往時では国清寺及び上杉氏の邸や関連する施設が建ち並んでいたのかもしれません。下地図画像は現存する国清寺の子院などをピックアップしたものです。広域に点在するこの雰囲気からも奈古谷全体が上杉氏の城下町のように思えてきます。

県道136号から見た国清寺方面 往時はこの辺りも境内だったのかも
Google map 奈古谷
①国清寺 ②高岩院 ③徳隣院 ④龍泉院 ⑤奈古谷観音堂 ⑥松月院 ⑦毘沙門堂

国清寺の鎮守とされていた毘沙門堂は丘陵部を登った山奥にあります。但し、毘沙門堂自体はもともと平安時代から存在する史跡のようです。

毘沙門堂

さらに瑞泉寺のように(境内の)十境が定められていたそうで、十里松・石橋などの名称が記されていました。名称には峠や嶺という字がみられるので、境内は国清寺が背負う丘陵部裏山までを含むようです。ちなみに寒山窟・石牛洞という名が見られましたが、私が想像するような洞窟でもあるのでしょうか。伊豆の史跡に関する著書・資料は、鎌倉のものと比べると、圧倒的に少ないので、これら十境までを解説してくれる資料は見つけられませんでした。残念。

奈古谷観音堂 国清寺から至近距離にあって付近には辻・横道などの屋号が残されている

また、往時では末寺300余、子院78とありました。鎌倉寺社でもそんなモンスター級のお寺ありましたっけ。現存する子院は下画像の高岩院の他、徳隣院・龍泉院・松月院となっています。そして足利義満の時代に関東十刹の六位に列しています。同じく韮山の円成寺も山内上杉氏時代に国清寺の末寺となりました。

国清寺に隣接する高岩院

国清寺境内


正面に神武寺の薬師堂にも似た形状の仏殿があります。すぐ左手には子院の高岩院が所在しています。お堂の奥が本堂と庫裡でしょうか。その他旧態地形で残された平場が広がっています。


国清寺縁起


寺伝によれば、康安二年(1362)に仏真禅師を開山に迎え畠山国清が創建、その後、慶安元年(1368)に上杉憲顕が中興したとあります。創建から中興までの期間が短い気もしますが、畠山国清が失脚したことにより、そのポジションを奪った上杉憲顕がそのまま領地なども受け継いだのかもしれません。但し『郷土資料事典』によれば、畠山国清の建立が暦応年間(1338~1342)上杉憲顕の中興が文和年間(1352~1356)とあり、天長山国清万年禅寺という寺号もこのとき賜ったとありました。ちょっと創建時期が異なります。


上杉憲顕


上杉憲顕の碑とその奥に中世のものらしき石塔が並べられていました。上杉憲顕は、現地案内板によれば、関東管領で上野・越後・伊豆守護などの要職を歴任し晩年国清寺を建立。応安元年(1368)足利陣中に没し国清寺に眠るとありました。上杉憲顕は山内上杉氏の祖とも呼ばれ、明月院の開基で知られる上杉憲方の父です。

上杉憲顕墓所

謎の地形


鎌倉遺構探索らしく相変わらず行って良かったのか分かりませんが、境内奥に丘陵部登頂口があったので登ってみることにしました。

国清寺裏山からの景色

なんと、山腹に平場があります。そして石というか石材が転がっています。さらに周辺地形には窪んでいる箇所があったりして、何かここにあったような雰囲気です。

山腹平場

平場からもう少し奥に行くと、なんかあります。建物跡が。近づいて見てみると何も残されていませんでしたが、その様相からはお寺に関連する建物だったことだけは分かります。国清寺一帯には阿弥陀堂や十王堂など七堂があったと観音堂の案内板にありましたが、もしかしたら・・という想像が膨らみます。但し、鎌倉寺社のセオリーからはどちらかというと、お寺の鎮守として活用される熊野神社や山王社などが祀られていたような雰囲気です。一体なんだったんでしょう。

神社・祠跡か?

境内に戻ると地蔵があるのに気付きました。国清寺塔頭の風林庵の名残りなんだそうです。その他、境内にはなんなのかよく分からない小さな社殿や古い石塔などが置かれています。往時の大寺院だった頃を想像するには難しく、国清寺はまさにツワモノどもの夢の跡といった雰囲気でした。

風林庵地蔵尊
小さな社殿
石塔群

畠山国清


ここから下田街道を南下した大仁の辺りにある城山は、畠山国清が築城した城跡と伝わっています。下画像がそれです。街道から眺めてもこの異様に目立つ様相は、石切りの影響によるもので、現在はロッククライミングができるようになっているからなんだそうです。神武寺に隣接する鷹取山みたいです。また、修善寺にある城山も城郭として活用されていました。私の調べ方が甘いためか、彼の失脚後の様子がいまいち判然としませんが、鎌倉公方・足利基氏の執事から一転、反足利勢となってからは、これら伊豆に施した城郭で抵抗していたのかもしれません。

大仁の城山



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探索期間 2014年5月
記事作成 2014年6月7日

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