国清寺
伊豆の国市奈古谷に所在する国清寺は、山内上杉憲顕が伊豆の拠点としていた場所です。関東十刹にも列していた国清寺は、山内家お抱えの寺院というだけあって、往時ではとてつもない数の末寺・支院を抱える大寺院でした。
国清寺
山号寺号 :天長山国清萬年禅寺建立 :暦応年間(1338~1342)~康安二年(1362)
開山 :佛真禅師
開基 :畠山国清
中興 :上杉憲顕
住所:静岡県伊豆の国市奈古谷1240−1
国清寺縁起
寺伝によれば、康安二年(1362)に仏真禅師を開山に迎え畠山国清が創建しました。その後、慶安元年(1368)に上杉憲顕が中興したとあります。但し『郷土資料事典』によれば、畠山国清の建立が暦応年間(1338~1342)、上杉憲顕の中興が文和年間(1352~1356)とあり、天長山国清万年禅寺という寺号もこのとき賜ったとありました。資料によって創建時期が異なります。
鎌倉の佐助ヶ谷にも国清寺という同名の寺院が存在しました。こちらも山内上杉氏に関連するものなので、伊豆と鎌倉の両社には関係があったと考えられています。一体どのような事情があるのでしょう。
国清寺 |
境内は本堂・庫裏、そして石碑・石塔などもありますが、とにかく敷地(空地)が広く、往時ではきっと色々な建物があったのだろうと想像を掻き立てられます。旧境内絵図でも残されていればきっと楽しめたのだろうと思います。
国清寺 |
国清寺境内 |
往時の国清寺
周辺一帯は往時では国清寺及び山内家の邸や関連する施設が建ち並んでいたようです。下地図画像は現存する国清寺の塔頭・子院などの関連寺院を印したものです。広域にそして規則的に点在するこの様はあたかも城郭のようにも思えてきます。そして往時では末寺300余、子院78とありました。想像を絶する規模です。北条氏邸にあった円成寺も国清寺の末寺となっています。
国土地理院の地理院地図 ①龍泉院 ②徳隣院 ③高岩院 ④国清寺 ⑤奈古谷観音堂 ⑥松月院 ⑦毘毘沙門堂 |
毘沙門堂自体はもともと平安時代から存在しますが、国清寺の鎮守とされていました。また国清寺では境内の十境が定められていたとのことで、名称に十里松・石橋・寒山窟・石牛洞などとありました。但しそれらがどこにあるのかはよくわかりません。
奈古屋観音堂 |
境内にある国清寺塔頭風林庵地蔵尊子育て地蔵尊 |
国清寺に隣接する高岩院 |
上杉憲顕墓所
境内一画には上杉憲顕の碑とその奥に中世のものらしき石塔が並べられていました。上杉憲顕は、現地案内板によれば、関東管領で上野・越後・伊豆守護などの要職を歴任し晩年国清寺を建立したとあり、応安元年(1368)に足利陣中に没し国清寺に眠るとありました。
上杉憲顕墓所 |
上杉憲顕墓所 |
裏山
鎌倉寺社の裏山にはやぐらなどの遺構があるので、ここは伊豆だとわかっていても裏山に行きたくなります。ということで行って良かったのかわかりませんが、境内奥に丘陵部登頂口があったので登ってみることにしました。途中、大きめな岩石が転がっていたので、この山では石を切り出していたのかもしれません。
裏山登頂路 |
岩石が散らばる裏山平場 |
しばらくして到着した平場に、古びれた建物が遺されていました。何もありませんでしたが祠を祀る造りだったので神社だったものと思われます。お寺の裏山に神社があるのはよくあることです。何という神社でどんな役割だったのでしょう。
裏山にあった神社跡 |
裏山からの眺め |
情報があまりないのでわからない部分も多い国清寺ですが、宅地開発などの影響を受けてないので、周辺は旧態地形のままの姿で残されています。時間がもっとあれば、色々と探検する価値がありそうです。
畠山国清の城山
国清寺から修善寺方面に下田街道を南下した大仁の辺りに畠山国清が築城したと伝わる城山があります。石切り場とされてしまったようですが、逆にそれが様相に凄みを増しています。
大仁の城山 |
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