毘沙門堂〈伊豆の国市〉
伊豆の国市の奈古谷に所在する毘沙門堂は、同じく奈古谷にある国清寺の鎮守とされていました。しかし、もともとの創建は平安時代にまで遡ります。文覚上人が草庵を結んだ場所だと伝えらえれています。
基本情報
名称 :毘沙門堂住所 :静岡県伊豆の国市
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後述するように、毘沙門堂へ続く参道周辺には梵字や仏像などが彫り込まれた中世以来信仰の対象となっている石造群や巨石・奇石が点在します。ですから毘沙門堂へ向かう際には、せっかくなのでこれらも見学したいと思いますよね。
但し観光客としては悩ましいところで、車で行くといちいち石があったとして停まっていられない、だからといって歩いて行くのもちょっと辛いという事情があります。個人的にはこのとき市営のレンタルサイクルを利用して向かいました。登りは歩きと大して変わりませんが、道は傾斜があるので下りは「あっ」という間に下りて来れます。
伊豆の国市から借りたクロスバイク |
毘沙門堂縁起
毘沙門堂のある地には平安時代に安養浄土院(奈古谷寺)と呼ばれた寺院があり、文覚が草庵を結んだ場所だと言われています。安養浄土院はその後に源頼朝と文覚が大改修し(瑞龍山)授福寺と改められ、毘沙門堂はそこの鎮守とされました。
文覚上人
毘沙門堂に住していたという文覚は、もとは遠藤盛遠という北面の武士でした。18歳の時に横恋慕の縺れで源(渡辺)渡の妻の袈裟御前を殺害してしまったことにより出家します。熊野山などで修行を積んんだ後、京都神護寺を再興しようと、後白河法皇へ執拗に寄付を求めたため、法皇の怒りにふれ、伊豆に配流されてしまいます。
その後、源頼朝の挙兵に協力・尽力した文覚は、鎌倉の大御堂ヶ谷に文覚上人屋敷跡という石碑があるように、しばらくは鎌倉に住していたようです。
七つ石と石造群
毘沙門堂に至る参道周辺には、梵字や仏像などが彫り込まれた中世以来信仰の対象となっている石造群や七つ石と呼ばれる巨石・奇石群が点在します。七つ石はそれぞれ蛇石・夫婦石・谷響石・弘法石・大目石・護摩石・冠石と名付けられています。
これら遺物の存在からも毘沙門堂を含む谷一帯が密教の場であったと考えられています。ですから毘沙門堂は登った先にあるお堂を見て終わりではなく、行程ルート上を宝探し感覚で向かうことができます。それでは行ってみましょう。
毘沙門堂のある山 |
広がるのどかな風景を眺めながら参道を登って行くと、早速ありました。こちらは両界曼荼羅種字と呼ばれるもので、なんと、鎌倉時代中期のものとありました。
両界曼荼羅種字 |
両界曼荼羅種字アップ |
しばらく進むと今度は阿弥陀三尊種字と呼ばれる巨石が現れます。こちらは南北朝期のものです。しかもここは奥に平場があったり地形に段差がみられたりと、ちょっと怪しい雰囲気です。関連する寺院や施設があったのではないでしょうか。
阿弥陀三尊種字 |
平場 |
またしばらく進むとこちらは七つ石の一つで蛇石と呼ばれるものです。「この石に棲む白蛇を国清寺の高僧がこの岩に封じ込めた」という伝承がその名の由来となっています。そしてこの蛇石には鎌倉時代前期の梵字が刻まれているとありましたが、確認できませんでした。
蛇石 |
蛇石の近くに石祠があって、石塔類がいくつか置かれています。乾元二年(1303)銘の地蔵石仏龕があるとありましたが、こちらもちょっとよくわかりませんでした。
文覚上人記念碑的な造作 |
次は七つ石の夫婦石。「頼朝夫妻がここで一息入れた」とありました・・。観光地によくある「頼朝の腰掛岩」的なクオリティーのものが急に現れました。「えっ?この先ずっとこんな感じ?」と、これから先に何があるのか不安になってきました。
夫婦石・・・ |
恐る恐る次に進むと今度は谷響(こだま)石。「南側の谷奥、200メートルにあり、山の神が祀られています」とあります。ただでさえ険しい坂道を登っている最中で、しかももう既にクタクタなのに、200m先の谷奥になんか行けません。余計な体力の消耗は控えます。
谷響石 |
次は急カーブに位置する巨大な大日石。「明徳三年(1391)五月の銘がある蓮華に坐る地蔵が線刻されている」とありましたが、こちらもよくわかりませんでした。
大日石 |
毘沙門堂
そろそろ七つ石にも飽きてきたところ、ようやく毘沙門堂に到着しました。伊豆の国市の観光パンフの画像に一目惚れしたのが、この下から眺める仁王門の画でした。古い石段と一緒に見上げる仁王門が素敵です。思えば途中の坂道はきつかったし、夫婦石で心が折れそうになったりと、色々ありましたが、来て良かったです。
毘沙門堂仁王門 |
毘沙門堂仁王門 |
仁王門にある金剛力士像は延徳三年(1319)のものだとありました。
金剛力士像 |
ピントが網に合ってしまった金剛力士像 |
仁王門を過ぎると授福寺跡地となり、こちらにも七つ石の護摩石があります。文覚上人が護摩を焚いていたことに由来します。しかしノミ跡があることから礎石ではないかとも考えられているようです。
石 |
授福寺跡から階段を登ると毘沙門堂となります。
毘沙門堂への階段 |
毘沙門堂 (よほど疲れていたのか何故か本堂がきれてる) |
ということで、やはり仁王門の景観が個人的にはピークでした。また七つ石は終わってみれば5つを確認しただけなので残りの2つが不明です。「残りの2つはどこにあったのだろう。また訪れる機会があれば探してみます。」と締め括りたいところですが、正直言って苦労して探しても、また夫婦石クオリティーのようなものであった場合ショックが大きいので、謎は謎のまま終わらせようと思います。
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