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武田信光と信光寺

2014/06/02

伊豆の国市 寺院

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信光寺

信光寺

山号寺号 :熊野山信光寺
建立   :元久元年(1204)頃
開基   :武田五郎信光入道光蓮
本尊   :十一面観世音菩薩
宗旨   :曹洞宗

住所 :静岡県伊豆の国市寺家90



伊豆韮山の西側で守山と呼ばれる丘陵部の一画に信光寺は所在しています。信光寺の開基は『吾妻鏡』にも度々登場する武田信光で、寺縁起に、尼将軍の時代に伊豆の国を給わり12年間伊豆で過ごすとあったので、ここは伊豆の武田信光邸の名残りなのかもしれません。

①成福寺 ②光照寺 ③公方御所跡 ④円成寺跡 ⑤守山八幡宮 ⑥願成就院 ⑦信光寺 ⑧真珠院

信光寺境内


三嶋大社から修善寺方面に向かう下田街道沿いに面しています。正面に本堂、左手に観音石仏群と武田信光墓所があります。

信光寺
信光寺

嘉永四年(1852)に裏山に西国三十三番観音霊場として石仏が配置されました。2003年に岩山の石段を登るのが危険であることからここに一箇所に集められたとあります。崖面は崩落防止のための工事が成されているので、裏山は失われているようです。残念。

信光寺 観音石仏群
信光寺 観音石仏群

境内には大師堂があり空海の加持井と称する井戸が残るとありました。下画像のものは加持井とは記されていませんでしたがこれを指すのだと思います。

信光寺の井戸

信光寺縁起


鎌倉より頼家の病状をうかがいに修禅寺に赴き、鎌倉への帰路ここで頼家の殺されたことを聞き、方広庵を結び出家し光蓮と称し頼家の菩提を弔ったと云われています。『吾妻鏡』にも「伊豆入道光蓮」と記されています。

信光寺

武田五郎信光入道光蓮


武田氏は清和源氏で、八幡太郎義家の弟の新羅三郎義光を祖とし、義光の三代後の信義の時に武田氏を名乗ります。源頼朝旗揚げの際には共に挙兵しており、奥州合戦などでも戦功を挙げています。信光は弓馬四天王の一人に数えられる名手で、執権時頼にその技を伝授したと伝わっています。また、信光は武田信玄から遡ること14代前の武田家当主となります。

信光寺 武田五郎入道墓

吾妻鏡に記された武田信光


『吾妻鏡』仁治二年(1241)3月25日条に、信光と海野左衛門尉幸氏が土地の境における争論のあったことが記されています。裁判の結果、信光が敗訴となってしまったようです。

また建保元年(1213)に勃発した和田合戦において、北条方として参戦した信光ですが、若宮大路の米町口で朝比奈三郎義秀に出くわしたと記されています。

互いに狙いをつけて戦おうとしていたところ、信光の息子の悪三郎信忠がその中に割って入ってきます。その時、朝比奈三郎は信忠が父に代わろうとしていた様子に関心し、急いで過ぎ去って行ったとあります。

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