2014年6月6日金曜日

伊豆滝山不動


韮山の東側にある多賀山地寄りに伊豆滝山不動明王は所在します。山木判官がいた香山寺が比較的近くにあります。ここでは山奥にある滝に不動明王が祀られているのですが、まさに観光客からすると「そうそう伊豆まで来たからにはこういう史跡が見たかった」となる物件です。

富士見パークウェイ入口 西行を気取って花が好きなように装ったショット

滝山不動には文覚が修行に用いたと云われる滝、それから頼朝が旗上げの祈願とした不動明王が祀られています。この頼朝の祈願が事実であれば、滝山不動が山木判官邸からも近いことから、頼朝がこの場で祈願したのは山木合戦の後で、石橋山合戦に向かう前だと思われます。

さて入口はと・・ ヘアピンの先って・・

入口はというと、なんと富士見パークウェイという伊豆スカイラインにつながる自動車道のヘアピン部分を丘陵部に入って行くというマニアックさです。境内の案内板からは蓮華寺なるお寺とつながっていそうな感じもしますが、もしかしたら以前はアクセスできたのかもしれません。入口からその蓮華寺方面に向かっておかしな地形や石祠などが置かれていました。昔は境内の造りが違ったのかもしれません。

現地案内板に名称の補足をしておいた

旗上不動


入口から近い場所に旗上不動明王が祀られたお堂があります。入口から近いといっても、すでに結構な登り坂をやって来たので入口自体が既に丘陵山腹です。頼朝が旗上げする際に文覚上人と共に祈願崇拝した不動明王とありました。

旗上げ不動には頼朝・文覚・山木判官の塔婆が 

すごいです。大きめな岩石がそこら辺に転がっているこのあまり整備されていない感のある荒々しさ。「そうそうこれが私の求めていた伊豆の史跡」と納得・興奮しながら先を行きます。旗上げ不動から頂部平場まで登り坂です。ホントにゴツゴツしています。

石と石の隙間を歩いて行く感じ
ちょっと登った辺りから どこに道があるか分からないでしょ

ちなみに滝の水量が昔より減ったとのことでしたが、やはり以前はここに水が流れていたと思われます。滝から発生した水路のごとく、登頂部中央は掘割状のように少し窪んでいます。そして転がっている岩石に規則的な切り口がみられます。何となく気付いてはいましたが、石切りがここで行われていたようです。ですからこの岩石が転がる荒々しい光景は石切り場跡の様相も含まれています。

なんか人の顔に見える・・
隙間に何かを祀るのは鎌倉も同じ

不動の滝・奥の院


頂部が見えてきました。何か建物があります。頂部平場にまたお堂があります。これがお不動様の奥の院みたいです。

滝山不動
不動の滝 画像ではわかりづらいかもしれませんが水が流れています チョロッと

頂部には以前の名残りなのか、祠などがあって素敵な雰囲気です。それにしても快晴の日曜日だというのに誰もいません。鎌倉では味わえない「史跡を独り占め感」がまた素敵です。祀られている神様に失礼な話ですが、このお堂にお茶屋さんとかあったら素敵だなぁと思いました。滝を横目に丘陵頂部からの景色を堪能できます。もしオープンしたら店名は「旗上げカフェ」でしょうか。・・相変わらずの自分のひねりのないセンスに落胆します。

滝山不動 秘境の史跡みたいで素敵

頂部の案内板には韮山の名手で江川家35代目の当主が開いたとあります。その後、奉納されていた不動明王が盗難にあったようで、36代目の英龍が江戸のお勤めに出かけた際、日本橋の骨董品屋でその盗難された不動明王を見つけ買い戻したという逸話が紹介されていました。江戸時代では大変栄えていたとのことです。ちょっと分かりづらいのですが、入口付近にあったお堂が旗上げ不動で、この滝のある場所が奥の院になっているのだと思われますが、そしてさらに江戸時代に江川家がここに滝山不動を建てたということでしょうか。

古そうな・・ なんだろう

文覚上人隠窟


文覚上人隠窟というものがあります。案内板にこの洞窟が毘沙門堂までつながっていると言い伝えられているとありましたが、これは洞窟によくあるお決まりの伝承でしょうか。洞窟は入口部が狭く、もし入るのであれば寝転がらなければ行けません。覗いた感じでは奥がないように思えます。ちなみにGoogleMapで計測したところ、ここから毘沙門堂まで直線で引いても1.3Kmあります。本当につながっていたとしても、余程の重装備で望まないと入ったら生きて帰ってこれないんじゃないかと思えてきます。行ってみたいのはやまやまですが、洞窟特有の恐ろしい虫の存在も考えなければいけません。入るには旗上げするぐらいの気概が必要です。

文覚上人隠窟
内部をフラッシュ撮影

ここで文覚が平家討伐の旗上げを頼朝に促したという伝承があるそうです。そしてネット情報ですが、ここから三島方面にある函南という地区にも確か同じような伝承を持つお寺があったと思います。吾妻鏡には記されていない文覚と頼朝のやりとりが伊豆のどこかであったようです。文覚というイケイケの坊主からケツを叩かれて頼朝はようやくその重い腰を上げたように想像してしまいます。以仁王の令旨から4ヶ月も経ってから挙兵したのにはどのような事情があったのでしょうか。伊豆の史跡に残された伝承を調べてゆくと、頼朝ってホントは家庭を築いて幸せに暮らせればそれでも良かったんじゃないかと思えてきます。




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探索期間 2014年5月
記事作成 2014年6月6日

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