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あやめ御前と西琳寺

2014/06/11

伊豆の国市 寺院

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あやめ御前と西琳寺


伊豆の国市の古奈という温泉街にある西琳寺というお寺に訪れてみました。鳥羽院で最も美しかったといわれるあやめ御前が夫の菩提を弔うために草庵を結んだ場所だと伝えられています。

西琳寺

西琳寺

山号寺号 :弥勒山西琳寺
建立   :文明十年(1478)
開山   :蓮如
宗旨   :真宗大谷派

住所    :静岡県伊豆の国市古奈38
拝観料   :なし
公共交通機関:駿豆線伊豆長岡駅よりバス「古奈温泉南口」にて下車


あやめ御前


西琳寺によれば、あやめ御前は伊豆の古奈の生まれで、都に上り鳥羽上皇に仕えていました。院で最も美しい女性だったといわれています。その後、夫となった源頼政が平家討伐の戦いに敗れ京都の平等院で戦死した後、古奈に戻り、弥勒堂の下に草庵を結んで夫の菩提を弔ったといわれています。夫の源頼政は『吾妻鏡』の冒頭に登場する、以仁王の令旨を引き出した人物です。

あやめ御前の供養塔

古奈


古奈は伊豆長岡町の一画にあり、長岡町同様こちらも温泉街となっています。西琳寺の辺りをあやめ小路というそうです。そして面白いことに、西琳寺が背にする裏山丘陵部一帯を源氏山といいます。いつからそう呼ばれていたのかはわかりませんが、やはりあやめ御前が源頼政の妻だったことに由来するのでしょうか。

県道から見た西琳寺への参道
西琳寺前を通るあやめ小路

西琳寺境内


西琳寺は下田街道と平行するように伊豆長岡を南北に通る県道から少し入った場所にあります。温泉街らしく近隣は温泉宿に囲まれています。山門をくぐると本堂、少し奥へ行くと裏山となる源氏山への登頂口があります。

西琳寺

西琳寺縁起


寺伝によれば、弘仁元年(810)に弘法大師が草庵を結んだことに由来します。地元の人達が大師のためにお堂を建て、大師の刻んだ弥勒菩薩にちなみに弥勒寺と名付けられました。

その後、北条斉寄なる人物が、子供が欲しいと弥勒菩薩に祈願したところ、斉寄の妻が、西琳寺の裏山から光る玉が飛んできて口の中に入る夢を見ました。しばらくすると、斉寄の妻は懐妊し男の子を産みます。斉寄は大いに喜び西の山から玉が飛んできたというので、西琳山という山号を贈りました。

その後、文明十年(1478)に本願寺八世の蓮如によって真言宗から真宗に改宗し、寺号も西琳山弥勒寺から弥勒山西琳寺と改められました。

弘法大師像

弥勒堂


境内奥から階段を登ると山腹に弘法大師の弥勒堂があるそうです。そのまま源氏山へも行けるようなので行ってみたいと思います。

弥勒堂・源氏山への階段
弥勒堂・源氏山への階段

弥勒堂が見えてきました。

弥勒堂に続く石畳

その前に、この辺り何やら石塔やお地蔵さんが色々と置かれています。しかも石塔は中世のものじゃないですか、本当にこのお寺古いんですね。

中世の石塔残欠
子育て地蔵

そして山腹に弥勒堂が祀られています。あやめ御前も深く信仰していたそうです。境内にはあやめ御前が植えたと伝わる桜があり、頼政への追慕の情を託して植えたものといわれています。鳥羽院下で最も美しかった女性が植えた桜です。いつからか美女桜と呼ばれるようになりました。現在のものは六代目とのこと。しかしここに訪れたのは5月も後半だったので、その桜は見ることはできませんでした。

弥勒堂
弥勒堂からの景色

源氏山


弥勒堂からそのまま源氏山に向かえます。鎌倉の源氏山同様、随分と整備されているようで、昔のものとは思えない立派に削平された太い尾根と広場が所々に設けられています。また、七福神めぐりとして各地に小さな社殿とそれぞれ七福神の石像が置かれています。

源氏山への道
源氏山尾根
源氏山尾根

その後のあやめ御前


沼津市仏教会によれば、源頼政が平等院で戦死した後、「大師ゆかりの寺」(禅長寺)に入山したあやめ御前は、西妙と名を改め一族の菩提を弔ったといわれています。安貞元年(1228)に天寿を全うしてこの世を去ります。享年89歳でした。

一説では伊豆に流されていた藤原為明が土地の女性と結ばれて産まれたのがあやめ御前といわれています。また、あやめ御前が近衛天皇に仕えていたともあったので、西琳寺の伝承とは異なる箇所がいくつかみられます。どちらにしろ「いつしか都の花とうたわれ殿上人の憧れの的に成長した」とあったので、あやめ御前が美人だったことだけは間違いないようです。

境内にあった何の石像仏だろう

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