伊豆山鎌倉古道
今回は、熱海市にある伊豆山神社の領域に、少なくとも鎌倉時代から存在していた可能性の高い古道ルートに訪れてきました。古道は鎌倉七口のようにわかりやすく切通しとして残されている訳ではなく、またこれといった史跡が登場する訳でもありませんが、伊豆山神社の、そして熱海の歴史を掘り下げるうえで個人的にはとても興味深い体験となりました。
中世熱海の幹線道路
三嶋から函南・熱海・湯河原・小田原へと至る道を、根府川の関所を通るので根府川道(通り)、もしくは小田原道・伊豆東浦路などと云います。逆に小田原から三嶋を目指す際は熱海(街)道・日金道などと呼ばれていました。
この街道は古くは源頼朝をはじめとする源氏将軍らが二所詣などで通っていたと考えられており、また熱海のご老公アタジイによれば、三嶋や伊豆の塩商人らが警戒の厳しい箱根の関所を避け、こちらの「旧小田原街道」を通っていたそうです。
Google map 熱海 ①三嶋大社 ②大土肥橋 ③日金山東光寺 ④伊豆山神社 ⑤門川 |
三嶋から鎌倉方面に向かうと、熱海の西の玄関口となっていたのが日金山東光寺です。HP函南遺産によれば、函南町にある大土肥橋は伊豆権現の大鳥居があったことにその名が因むとあります。
また熱海と湯河原の境界線となる千歳川沿いにある門川という地名は、植松乾著『伊豆山の歴史を散歩してみませんか』によれば、伊豆山権現の東の門があったことにその名が因むと記されています。往時の伊豆山神社の領域がどれだけ広かったのかが伝わってきますが、それに触れると話が脱線してしまうので、ともかく、今回はこの旧小田原街道の伊豆山地域付近から始まる古道ルートに訪れてみました。
伊豆山鎌倉古道
熱海伊豆山温泉観光協会(旅館組合)の方に事前に教えてもらった鎌倉古道が下画像の赤線部分です。伊豆山神社前を通る市道・バス通りをさらに奥に登った地点から国道135号線に下りて行くルートとなります。
Google map 伊豆山 赤線=鎌倉古道 左黄線=市道 右黄線=国道 ①伊豆山神社 ②バス停伊豆山老人ホーム前 ③伊豆山神社石碑 ④身代り不動尊 ⑤礼拝山興亜観音 |
『伊豆山の歴史を散歩してみませんか』によれば、「伊豆山近くの鎌倉古道は国道135号線のすぐ上を走っています。」とあります。地図画像でいうところの身代り不動尊・興亜観音の上にある尾根道が古道となっているようで、現在は藪に覆われています。
ですから今回行くルートはその延長線上にあり、また、国道に下りてきてしまうので途中から岐路ということになるのかもしれません。それでは、熱海駅からバスで伊豆山神社を通り越しバス停伊豆山老人ホーム前に向かいます。
熱海駅バスロータリー この日は気温34°・・ |
現地に到着。伊豆山鎌倉古道の入口が目の前ですが、近くにあるハートピア熱海の辺りが伊豆山神社の近世の別当寺・般若院が元々あった場所だということなので向かってみました。素晴らしい見晴らし!・・但し目の前の建物がなければの話。
般若院のあったハートピア熱海からの景色 |
ちょっとズーム |
どこからでも目印になる安定の熱海城 |
下画像はハートピア熱海前の坂道です。登りと下りが交互に延々と続く熱海の地形を凝縮したかのような一枚が撮れたと思います。
THE熱海の景色 |
それでは、伊豆山鎌倉古道に向かいます。下画像のとおり、市道・バス通りからこんな風に下りて行きます。何も知らなければ絶対スルーしてしまうような道です。
鎌倉古道入口 |
観光協会の方に「行っても何もないですよ」と言われましたが、いいんです、何もなくて。頼朝や鎌倉武士たちが通った道に訪れることが出来ればそれでいいんです。それが史跡めぐりです。
伊豆山鎌倉古道 |
伊豆山鎌倉古道 |
伊豆山鎌倉古道 |
しばらくすると川が現れました。道が川に沿うのも古道らしいじゃん!、なんて進んで行ったら途中でこれは道ではなく民有地だったことが判明しました・・。
古道沿いに現れた川 |
古道っぽいけど民有地だった(笑) |
もう一度分岐点に戻って古道を進むと、民家の集まる集落のような場所に出ました。台地状尾根のような。古道沿いだけにこの辺りは元々平場だったのか、現代にて開発されたのか、気になるところです。
それにしても、別に何もなくていいんですと言っておきながらなんですが、ホント何もなさすぎて逆にビックリします。自分のやっていることを客観的にみても、東京からわざわざ何もない田舎道を歩いているだけの奇特な人としか思えません。
景色の開けた地点 |
集落の辺りから道は下りとなり、国道方面に下りていくとかなり大々的な石切り場跡のような地形が連なっていました。『熱海市史』に「獅子の丁場や丘の丁場」といった記述がみられますが、ここが関係あるのかはわかりません。
石切り場跡? |
国道に出ると伊豆山神社を示す石碑がありましたが、なんと「伊豆山神社参道」と刻まれています。どういうことでしょうか、どこが参道なのでしょうか。謎過ぎて何も言及できません。
国道沿いにある伊豆山神社参道の石碑 |
それにしても、今辿ってきた道が往時の幹線道路だったということは、熱海も随分と土地開発されてしまったんですね。
身代り不動尊と礼拝山興亜観音
それでは、鎌倉古道は終わりとなりましたが、古道はそのまま身代り不動尊と礼拝山興亜観音の上を通っていたようなので、それら史跡に向かってみることにしました。
まずは身代り不動尊。川崎にある身代り不動尊の熱海別院とありました。ですから伊豆山とは何の関係もないのかと思いきや、京都醍醐寺当山派の不動尊が安置されているとのことです。伊豆山神社の別当寺・密厳院(廃寺)の別当職が醍醐寺派であったので伊豆山との関わりが指摘されています。密厳院に関連する寺院が元々ここにあったのかもしれません。
熱海身代り不動尊 |
身代り不動尊から少し進むとあるのが興亜観音です。興亜観音は昭和15年(1940)に日中戦争の戦没者を供養するために建立された新しい寺院ですが、興亜観音の裏山を礼拝山と云い、この地に伝わる礼拝堂という字名にその名が因みます。小田原方面から伊豆山神社に参拝する場合、この場所が礼拝する場であったことに由来すると熱海市教育委員会の調査報告書にありました。
また興亜観音の住職によれば、実際にも礼拝堂というお堂があったそうで、源頼朝が源氏再興のための祈願をした場所でもあったそうです。
興亜観音入口 |
国道沿いにある興亜観音の案内板から本堂まで思っていた以上に距離がありそうです。普段ならまだしも、気温34°の猛暑のなかの登り道は酷です。途中にはお寺に向かう道沿いにあるものとは思えないオブジェが点在していました。昔はこの辺りに何か施設があったのかもしれません。
お寺の参道沿いにはそぐわないオブジェ |
お寺の参道沿いにはそぐわないオブジェ |
しばらくすると景色が望めました。素晴らしい!熱海湾が一望できます。
熱海湾の景色 |
興亜観音参道 |
汗だくになりながらもようやく到着かと思いきや、まさかのここからが入り口という状態・・。ご丁寧に登山用の杖まで用意されています。杖があるということはまだまだ登るということですね、はい。
興亜観音入口 |
標高が高くなって景色が素敵になっていく・・けど暑くてキツイ |
暑すぎて猫も相手してくれず |
しばらく道を登っていると小さなお堂が現れました。ソ連兵に身を汚されるぐらいなら命を絶って純潔を守ると、昭和21年にハルピンにて青酸カリで自決した22名の従軍看護婦を供養しているそうです。
従軍看護婦を祀るお堂 |
そしてお堂の前から眺める景色がこれまた絶景!熱海の海岸線と山々を一望できます。観光協会の案内図に「ここからの眺望は伊豆山随一」とありましたが、確かに、納得の景色。往時では小田原・鎌倉方面から来た伊豆山神社に向かう人々がこの景色に礼拝していったのでしょう。
礼拝堂からの景色 |
礼拝堂からの景色 ちょっとズーム |
ちなみにこの後、ここ興亜観音の住職に、ようこそいらっしゃいましたと冷房の効いている部屋に通され、冷たいお茶とお菓子を御馳走になりながら、興亜観音を建立した松井石根陸軍大将や礼拝堂についてなど色々とお話を聞くことができました。
そしてなんといっても、興亜観音の住職とはまた別のお寺の住職がちょうど訪れていて同席させてもらったのですが、この住職がとてつもない識者で、日本の歴史の根幹に触れるような興味深い話をいくつか聞かせていただくことができました。しかも伊豆山神社の縁起の謎を紐解くヒントまで教えてもらうことができました。「伊豆は出雲からきている」と。
あとがき
この日はホントに暑くてデジカメが壊れてしまった程でした。興亜観音の本堂の画像がないのと興亜観音からの景色の画像のサイズが違うのはそのためです。たぶん良いように解釈すると、「これ以上史跡めぐりなんかやっていたら熱中症で倒れてしまうよ」と神さまがデジカメを壊して諭してくれたのかもしれません。
史跡めぐりをしていると食事も忘れるほど熱中するので、気づいたら餓死していたとか、気づいたら熱中症で倒れていたとか、自分ならホントありそうだと思いました。ですからこのあと早々とホテルに戻って温泉三昧としました。
それでは、最後まで読んでくれた皆さまありがとうございます。そしていつも鎌倉遺構探索に付き合ってくれる皆さまありがとうございます。
今回の旅の出発地点 標高200m近い山道なのに景色一面が海 |
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